特集

水素を使いこなす新しいサイエンス 「ハイドロジェノミクス」とは

  • 2020.10.02 10:00
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〜東北大学 材料科学高等研究所 所長 折茂慎一教授に伺う〜

 

スマホのバッテリー切れに悩まされた経験はないだろうか。外出中でコンセントの持ち合わせもなく、大事な連絡を逃してしまったかもしれない。あわててコンビニで充電器を買うハメになったかもしれない。

 

そんな時、もし水でスマホを充電できたとしたら?

 

水を太陽の力で水素ガスと酸素ガスに分解する。その水素ガスを燃料電池に送りこんで効率よく電気を発生させれば、いつでも、どこでもスマホを充電できるようになる。

 

スマホに限ったことではなく、10年後にはもう水素を媒介してすべての電子機器を動かせるようになっているかもしれない。そんな安全・安心で、持続可能な未来を実現するために、いま日本では水素を使いこなすための世界最先端の研究が進められている。その名も「ハイドロジェノミクス」。文部科学省の科学研究費助成事業(科研費)・新学術領域研究に指定されているプロジェクトだ。

 

分野の異なる日本を代表する研究者たちが「水素を使いこなす」を合言葉に多方面から研究を進める同プロジェクトの代表、東北大学の折茂慎一(おりも・しんいち)教授に、驚きの研究秘話の数々を伺った。

 

 

目次

◆再生可能な水素エネルギーシステム

◆実用化のための課題

◆画期的な“塩”

◆電子レンジがもたらした偶然の発見

◆水素の超電導性とハイドロジェノミクス

◆ハイドロジェノミクスとは

◆水素が描く未来

 

再生可能な水素エネルギーシステム

 

ディスカバリー編集部:持続可能な社会を実現するために、水素ステーションや燃料電池自動車、燃料電池で走るバスなどが徐々に増えてきていますね。水素がこれだけ注目を集め始めた理由はなんでしょう?

 

社会的な危機感あってでしょうか。原油資源が少なくなってきているという認識がありますし、温暖化の影響もあり、このまま二酸化炭素を出し続けていいのかという懸念から再生可能な水素エネルギーシステムの需要が高まってきています。

 

ゼロエミッション車(ZEV)など、車をはじめとした移動式の水素エネルギーシステムが注目を集めている一方で、定置式の水素エネルギーシステムもすでに使われ始めていますね。

 

たとえば、仙台の楽天球場には東芝が先駆けて開発した「H2One」が置いてあります。太陽電池で水の電気分解を行い、水素を作り、燃料電池に送り込んで電力を得るユニットです。

 

 

◆実用化のための課題

 

――燃料電池が一般にもっと広まるには、どういう技術が必要になってくるのですか?

 

普及のために残された課題のひとつは水素をどう貯蔵するかです。燃料電池自動車は、ガソリン車と同じようなコンセプトで作られていますので、一回水素をチャージするごとに大体500~600km走行しないといけない。水素の量にしておよそ5~6kg必要なのですが、軽くてかさばる水素ガスを使っているので、それだけの水素ガスを貯めるには6畳間ぐらいの空間が必要になってしまいます。だから、かさばる水素をいかにコンパクトな車内に貯蔵するかが大きな問題でした。

 

今では700気圧をかけて圧縮するなど、いろいろな叡智を集結して安全に燃料電池自動車の高圧タンク内に貯められるようになりましたが、車用に作られたその高圧タンクを家庭、病院やビルなどで使うのは難しいと言われています。

 

 

◆画期的な“塩”

 

そこで、今よりさらにコンパクト、かつ安全に水素を貯める技術が必要です。私たちは、これまで塩のような水素化物を使った貯蔵技術について研究をしてきました。

 

物質のまわりに水素が結合している状態を広い意味で「水素クラスター」と呼んでいますが、そういった水素クラスターを作って水素をくっつけていくことによって、塩のような軽い物質のなかに高密度に水素を貯めることができます。

 

「塩のような水素化物」の一種、Li-B-H(錯体水素化物)が水素を貯蔵した状態。ほんとうにサラサラした塩のようだ

 

――その塩のような物質を使って車を動かす場合は、水素ステーションで高圧ガスのかわりにその塩を車に入れるというイメージでしょうか?

 

シナリオとしてはそうですね。ただ、課題もまだ残っていて、それらを解決する研究を地道に続けてきました。

 

 

◆電子レンジがもたらした偶然の発見

 

ある時、水素クラスターを温める際に、電子レンジを使ってみようと思ったんです(笑)。ふつうは電気炉といって、オーブンみたいなもので温めるのですが。

 

すると、温める過程で水素クラスターのまわりにあるリチウムイオンが非常に高速で動き回っていることを偶然発見したのです。電子レンジを使ってみたからこその発見でした。

 

水素クラスターについて話す折茂教授。画面の下のほうに見える赤い粒がリチウムイオン

 

今までは水素に注目していたのですが、室温に近い比較的低温で、リチウムがすごいスピードで動き回っている。これは、実は「次世代の電池」と言われている全固体リチウムイオン電池の電解質に使えるのではないかと考えました。

 

現在スマホやパソコンに使われているリチウムイオン電池は、基本的には液体の電解質を使っていて、燃えやすいのが欠点です。リチウムイオン電池の事故も起きている。それを防ぐために、リチウムイオン電池を全固体化しようという動きがあります。

 

偶然にも水素を含んだ塩のまったく違う側面が見つけることに成功しました。2007年のことです。

 

 

水素の超電導性とハイドロジェノミクス

 

さらに、2015年には水素化物に高圧をかけることで超電導になることが報告されました。

 

――超電導とは…?

 

超電導は、電気抵抗がない状態です。たとえば電線に電気を通す時に、抵抗があるのでどうやってもエネルギーロスがあるわけですね。そのロスがなくなった状態が超電導です。

 

MRIなどの医療機器、またリニアモーターカーにも使われるのですが、これまでは多くの場合液体ヘリウムの温度、−270℃まで下げなければいけませんでした。

 

人類の夢のひとつは、室温での超電導です。室温で超電導になる物質が見つかれば、エネルギー革命となるでしょう。室温で、しかも高圧をかけずに超電導を出せたら、間違いなくノーベル賞ですね。

 

――もともとは水素を貯めるために研究していた塩のような水素化物から、水素のよさが次々と発見されたのですね。

 

そこがやはり水素化物が持っている多面性ですね。人類はまだまだ水素を使いこなせていないです。その気づきが、「ハイドロジェノミクス」プロジェクトの出発点となりました。

 

 

◆ハイドロジェノミクスとは

 

――折茂先生がいろいろな研究者に声をかけて始まった「ハイドロジェノミクス(Hydrogen-omics[学術体系])」プロジェクトとは?

 

水素を使いこなすための新しいサイエンスです。

 

一般的に水素は非常にシンプルな元素だと言われているのですが、じつは全くそうではなくて、変幻自在です。

 

陽子1個と電子1個から成る水素原子は、周囲の環境に応じて状態も大きさも劇的に変化する

 

おもしろいことに、このハイドロジェノミクスのプロジェクトに関わっている100人以上の研究者は、それぞれ水素に対して持っているイメージが違います。

 

私は高密度に水素が貯まった水素化物の研究をしていますので、中心の金属と水素が共有結合しているイメージを持っていますし、たとえば燃料電池の研究をしている研究者は水素=プロトンというイメージを持っています。生物の研究者は生物酵素(ヒドロゲナーゼ)のなかで水素が動き回っているところをイメージしていて、それって実は燃料電池の中で膜としてうまく使えないかとか、そういう大胆な発想も生まれてきます

 

この辺りがみんなで集まって研究をする重要性です。自分自身の研究に加えて違う水素の有り様を知ることで、これまでにないような材料や、デバイスや、プロセスが生み出せるのではないかと期待されています。

 

 

◆水素が描く未来

 

――ハイドロジェノミクスの展望を教えてください。

 

たとえばさきほどの水素クラスターですが、リチウムだけではなく、より動きにくいマグネシウムなどのイオンを高速で動かして、今までになかった高性能な電池を開発するという目標がありますね。電池のエネルギー密度を高めれば、それだけ電気自動車の走行距離が長くなるので。

 

それから、医薬品などの原料となるアミノ酸やアンモニアなど、本来なら作りにくい物質をより簡便に作っていこうという狙いもあります。色々な形の水素をうまく組み合わせることで、有用物質の製造や改質プロセスがより簡便になると期待されています。

 

さらに、材料の中に入った水素は、その時々、その状況に応じて様々な形態をとるので、色々な機能を引き出せます。しかし、どんな状態で材料の中に入っているかは現在のサイエンスでも正確には分からないので、逆に言えばまだまだ隠された機能があるかもしれません

 

水素は材料中に入るとその動きや結合性が非常に見づらいので、計測データと統計数理学的な計算をうまく融合させて、天気予報のように水素の動きなどを解析したり予測したりしようといった研究も進んでいます。

 

あらゆる物質の中に水素が入っていますので、その水素の本質を探ってより活性化したり、制御できれば、暮らしが大きく変わっていくと思います。

 

――水素を塩のような水素化物に貯める技術は、今後どのように実用化していく狙いがありますか?

 

作った水素を物質内に貯めることができれば、たとえば太陽がまぶしい夏の間に太陽電池でたくさん水素を作っておいて、それを半年もたせて冬に燃料電池に送りこんで発電させるシーズンシフトが可能になります。

 

直接太陽光で発電した電気をすぐ使うとか、ちょっと一週間ぐらい貯めておくのであれば電池がいいですね。ただ、数か月貯める場合は水素化物にしておけば、広い意味でのエネルギーマネージメントが可能になってくるわけです。

 

最終的には車に使っていきたいですし、家庭でも、事業所でも、いろんなシーンで日常的にみなさんに水素を使ってもらいたいですね。

 

――勝手なイメージですけど、たとえばスーパーに水素の粉を売っているとか?

 

そうですね、水素を気軽に買える時代は近いと思います。水素が買える、あるいは家庭でも水素を作る。たとえば、ある研究者は水の中に触媒を入れて、光をあてると水素ができる研究をしていますが、そういったかたちで、家庭でも水素を使いこなす -水から作った水素でスマホを充電するー という時代は間違いなく来ると思います。