つまようじの長い歴史 首飾りとなって貴族の胸元を飾ったことも!

イタリアで販売されているつまようじには、なぜか「SAMURAI」とか「SAYONARA」という意味不明の日本語が充てられている。だから、つまようじの起源はてっきり日本にあるのかと思いきや、実はつまようじは古代から世界各地に存在していたという。

俗に、裕福な家庭に生まれることを「銀の匙をくわえて生まれてきた」というが、金のつうまようじを首から下げるという妙な流行が富裕層に広がった時代もあった。

 

 

ネアンデルタール人の歯にも、つまようじでこすった形跡が

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考古学者たちによれば、古代のつまようじは木製であったと推測されるため、物理的な証拠が発見されていない。とはいえ、ネアンデルタール人やジョージアのドマニシに残る180万年前の人類の頭蓋骨を調査すれば、歯にはつまようじでこすった形跡が明白に残っている。つまり、つまようじの歴史は人類の歴史とともにあったといっても過言ではない。

 

 

古代ギリシア・ローマ時代には、つまようじの存在が文献に

古代のギリシアやローマでは、つまようじは上流階級たちのあいだで日用品であったことがさまざまな文献から明らかになっている。

紀元前一世紀の歴史家シケリアのディオドロスは、シラクサの僭主アガトクレスの毒殺には、毒を塗ったつまようじが使用されたと書いている。

五賢帝時代の詩人マルティアリスによれば、当時のつまようじは木や鳥の羽の軸が材料であったという。古代ローマの遺跡からは、金属製のつまようじも数多く発見されている。

 

 

1500年代に大流行した金のつまようじ

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中世になると、金や銀のつまようじが徐々に流行し始める。この流行が決定的になったのは、1500年代であった。宝石まで施された高価なつまようじはやがて、紳士や淑女の首飾りと発展していくのである。

しかし、この風潮に同意できない常識ある(?)人々も多かった。

16世紀に、礼儀作法書『ガラテーオ』を表した文学者ジョヴァンニ・デッラ・カーザは、つまようじの宝飾品についてこう書いている。

「つまようじをアクセサリーとしている貴顕は、エレガントとはいいがたい。まず、つまようじが首から下がっているさまは奇妙としか言いようがないうえに、いかにも『今から大食いをする』という意思が垣間見えるからだ。それならばいっそ、スプーンを首からさげればよいというものだ。また、食事の席でつまようじを使用するのは、つばを吐くのと同様に見苦しい」と辛らつである。

しかし、その流行は長いた。19世紀のフランス王族ルイーズ・ダルトワは、1845年にパルマ公爵に嫁ぐ際に、十数本の「つまようじ」の宝飾品を持参したと伝えられている。

 

 

ポルトガルではつまようじで手をきれいに

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16世紀に大量生産が始まったといわれるつまようじは、ポルトガルでは歯の清掃だけに使用されていたのではなかった。

当時の修道院で生産されていた「コンフェティ」というお菓子は、手作りする際に手にべとべとと生地がねばりつくため、それをこそぎ落とすためにつまようじが使用されていたという。

 

 

その形状から「お守り」と考えられていた

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イタリア南部には、古代から「角」の形のアクセサリーをお守りとして使用する風習があった。「コルニチェッロ」と呼ばれるこのアクセサリー、長じては角だけではなく唐辛子のように見立てられて、金や銀だけではなく珊瑚などで作られた。今も、イタリアのお土産屋さんではこの形状のキーホルダーなどが売られている。

1500年代の肖像画に描かれたつまようじのペンダントも、「お守り」とみなされて実用品というよりも縁起を担ぐ意もあったようだ。

 

Sachiko Izawa

*Discovery認定コントリビューター

イタリア在住ライター。執筆分野は、アート、歴史、食文化、サイエンスなどなど。装丁が気に入った本は、とりあえず手に入れないと気持ちが落ち着かない書籍マニア。最近のひとめぼれは、『ルーカ・パチョーリの算数ゲーム』。@cucciola1007