アリエナクナイ科学ノ教科書:第35回 最終回 科学監修とは?

さて、この連載もいよいよ最終回となりました。
そのあとこの連載を大幅加筆や修正などをして、前著である「アリエナクナイ科学ノ教科書」の続編になるのですが、本連載を振り返って、そもそもの科学監修というものはどういうものか? そもそも科学設定って必要なの? という話をしてまとめたいと思います。

●科学設定の正しさ VS フィクションの面白さ
さて、自分は今まで多くの作品で科学監修をさせていただいています。名義を伏せて仕事をしたもの(作者のオリジナルとなる感じになります)名義を出して監修したもの、小説からドラマ、映画などなどいろいろな作品で科学設定、科学監修などをしてきました。
密室トリックからギミック、毒物設定、はたまた作中のウッカリミス設定を科学的に辻褄を合わせる・・・・本当にいろいろやってきました(笑)

そうした監修の仕事に至った経緯は前著で書いた限りなのですが、そうした仕事の上で、よく聞かれる文言があります。

「これって科学的に正しいですか?」

自分は科学設定という仕事で、多くのフィクションに携わってきましたが、この質問こそ、実はフィクションという虚構に巣くう真なる魔物ではないかと思うのです。

よく、銃が出てくる作品で、銃の引き金に指をかけているとミリタリー知識がハンパにある人に指摘の集中砲火を受けるという話があります。

少女漫画の中に出てきた銃の持ち方がおかしい・・・こうしたツッコミを素人(日本人ならまず大半の人が実銃を持ったことはない)からも受けるようになってしまうようなことがあり、それをフィクションの作り手が恐れている・・・ということです。中にはイラストの中のキャラクターの弓の持ち方がおかしいという話なども。

科学的な描写にそうした齟齬が生まれてしまい、作品自体の温度を下げてしまう・・・これを嫌って、自分が呼ばれることもあります「これって科学的に正しいでしょうか?」という感じです。

確かに自分はかつて拙著で「ミステリーにおける青酸カリは時代遅れである」と書きました。

ミステリーがブームになり出した時代には、下町のメッキ工場などからわりと簡単にくすねることができたというので、今で言うところの入手性が良い毒物だったので使われていたが、時代と共に入手性が悪くなり(悪用防止という意味で当たり前ですがw)しかも、青酸カリという化学物質としての性質は機会をうかがう毒殺には非常に不向きである、しかも毒殺したこともバレバレ・・・みたいな話です。

この何気ない記事を本に載せ、その本がそこそこ売れてしまったことで、青酸カリかっこ悪い空気が出来てしまいました。その後、ミステリーで毒物の監修をすることにもなりました。

とはいえ青酸カリが毒殺に不向きである・・・という事実。自分はたまたまそういった薬品を扱うことを生業としてきましたし、青酸カリ(シアン化カリウム)は実際に味見をしたことさえあります(危険なのでまねしないように)・・・その上で、物性的にも味的にも実物を知っているとこんなにも毒殺に不向きなのは無いのでは?? とさえ思った・・・だけの話です。

自分は科学者である以前に漫画やアニメが大好きです。ゲームも大好きで格ゲーは半生をかけてやっています。そんなフィクションにおける科学設定はたしかに「ん?」と思うことはあります。

しかし、これもその作品の一部分に「ん?」と思うだけで、だからどうしたと言えばそれまでなのです。

自分は専門がそうした科学部分ですが、例えば古民具の文化史などを研究している人からすると、大河ドラマや朝の連続ドラマなどは噴飯物の小道具の嵐だそうで、この時代にはこのタイプのはさみは存在しない・・・額装のアスペクト比がおかしい・・・まだこの時代の絵にこの色は存在しない・・・・etc

フィクションというのは、基本的に一人ないし小数の人間が構築した世界です。そこにすべてのリアリティを載せるということ自体が本来不可能なのです。そんなのただの現実です。

ゴジラを既存の生物学でいくら設定を盛ってもさすがに東京都をぶった切るビームの設定なんか作れません。ターミネーターのような体重の重いアンドロイドはバイクにものれませんし、なにより建物の中の床を荷重でぶち抜きまくって沼地で歩くような感じになってしまいます。
実話をベースにしたタイタニックの沈没シーンさえ、実際はもう少し地味だったでしょう。

あらゆる人が満足し、誰もがツッコミを入れない作品はもはや作品ではありません。

そうした前提の上で、再度科学設定を見るとなんともまぁ難しい立ち位置であることが分かります。

そこで自分が監修をさせていただく前に気をつけていることがあります。これは多くの設定にも共通することだと思います。

●作品のフィクション度合いと中心軸
例えば、先の銃のトリガーの指かけ問題。これが格好良さを重要視する作品や、ギャグ、その他銃器はあくまで作品の添え物程度の作品である場合。指がかかっていようが知ったことかという感じです。カートゥーンなんか人の指の数やら銃の形からして合ってないわけで(笑)。

しかしそれが、実際の戦争の再現系、戦場のリアリティ、マフィア同士の実際にありそうな緊迫感・・・などなど「銃の扱い」が作品の中心軸に近いものであれば、それは正すべきでしょう。

その作品の中枢となる部分に近い設定であれば、そこは綿密な取材やちゃんとした資料に基づく描写をすることで、その作品にリアリティが宿り、本当にあったかのような話に思えてきます。
漫画「ゴールデンカムイ」が漫画でありながらも、実在したかのような存在感を放っているのは、漫画として面白い上に、そうしたちゃんとした設定が見え隠れするから・・・という部分があるのだと思います。

科学設定も同様で、その作品のフィクション度合いに合わせて、さらにそこに不必要すぎないかどうか・・・の線引きをしたうえで・・・・さらには基本的に作者の構成に影響を与えないように・・・・設定を作ることが大事だと考えています。

科学設定はあくまで作品のディティールを上げる飾りに過ぎず、それ以上にはなってはいけないと思っています。科学的にこの描写はあり得ないので~~にしてください・・・というのは監修者の仕事としては最も楽なので、これを可能な限りなくすように心がけています。

スターウォーズの監督で知られるジョージルーカスもsound in spaceという言葉を使って「自分の作品野中の宇宙では音がなるんだよ!」と明言しています。確かに宇宙戦闘シーンが、我々の知っている宇宙法則にすべて則って戦えば音なんて無いはずです。宇宙は真空なので波である音が伝わらないのです。

しかしそれに大して「そっちのほうが面白いから!」と言うことは非常に大事だと思います。

これは日本のアニメ全般にいえる「大きな目」なども同様でしょう。そもそも科学的に正しいとか言う前に、等身も目の大きさも人間のそれとは大きく違うわけです。これも解剖学的には間違いですが、アニメという共通言語の上では誰もツッコミを入れる人はいません。

ようするに科学設定に大事なのは、作品のディティールであって、骨となってはいけないということです。科学的整合性を取り繕うためにいろいろな設定を付け加えたり、言い訳を必要以上にするのは作品の面白さを下げてしまう要因になりかねません。

多くの人が誰でも知っているか、簡単に検索などで「ん?」にたどり着くものでない限り、なにより「話の面白さを最優先にする」は科学設定に限らず、フィクションにおいて最も大事なことではないかと思うのです。

くられ

*Discovery認定コントリビューター

サイエンスライター、Youtuber、大学講師第など幅広く活躍。「アリエナクナイ科学ノ教科書」(ソシム)日本SF大会主催 49回 星雲賞ノンフィクションを受賞。近著は化学の生化学の入門を楽しいキャラで学べる「毒物ずかん」(化学同人)、アリエナイ理科ノ大事典(三才ブックス)薬理凶室名義 などがある。現在週刊少年ジャンプ連載中の「Dr.STONE」では科学監修を務める。

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タイトルイラスト:夢路キリコ https://www.yumejikiriko.com//