アリエナクナイ科学ノ教科書:第27回 闇の医学? ドーピング

今回のテーマはドーピング。肉体強化の限界と現実のドーピング技術について。
ドーピング。オリンピックはもちろん、あらゆるスポーツニュースで、諸悪の根源のように取りざたされるも、一向にその摘発件数は衰える事がない・・・どころか、どんどん手口も薬剤も巧妙にさえなっている。ドーピング汚染はスポーツ界に暗い影を・・・みたいなテンプレをニュースでよく聞くかと思いますが、じゃあドーピングというのは一体なんなのだろうか? と聞かれると「筋肉増やす薬?」くらいの印象しか無いと思います。
そういうわけで、本講では、ドーピング薬の種類と、人体の限界、そしてその未来、フィクション上におけるドーピングの可能性にまで迫ってみようと思います。

●ドーピング薬ってそもそも何?

ドーピング薬と言われるものは何か?
大半が普通の医療現場で使われる薬が多く、ドーピング専用に開発された薬というのは希なくらいです。筋肉を増やす薬も、リハビリの効果を高めるためや、EDや更年期障害の治療といったもののために開発されたもので、非合法ドラッグのような存在自体が非合法なドーピング薬というのは希です。希というのは、非合法ドラッグもまたドーピング薬として使えるものがあるからです。
とはいえ、ドーピング薬=違法な薬物 という描写はしないほうが「わかってる感ある」といえます(笑)。ただの医薬品の規格外濫用です。

さて、この医薬品の規格外濫用ですが、ちゃんとした医療に基づいているだけあって、ちゃんと効果が望めます。逆にドーピングに使うものが路地裏のアンダーグラウンドから来た素性不明なものを使うわけもなく、医療用グレードのものを使うことが多いので、やはりドーピング薬と非合法ドラッグはまったく別ベクトルのものと考えた方がいいでしょう。

古代に遡れば濃いお茶を戦闘前に服用していたり、トリカブトを超微量気付けに使うなど、古代のドーピングと呼べるものはあったようですが、近代薬学をベースにした、まさにドーピングと呼べるものは、1936年、ナチス第三帝国の主催していたオリンピックあたりがスタートといえます。

現在も使われることの多い、男性ホルモンの分子構造を少しいじったメチルテストステロン、さらに興奮剤として覚醒剤が組織的に使われました。
これは当時兵士を早期に育てそして能力を出すという前提で研究されてきた結果を応用したといえます。
ちなみに現在の軍事目的のドーピングは、兵士の体調管理が面倒になるために、コスト的な意味で使われていません(兵士が個人的に勝手に使ってる分には知らない)。要するに、現在は戦争と言うより待機状態のが長いわけですから、短期で強い兵士を作るよりいつでも万端な兵士を作ることに重きを置いているというだけでコスパの問題ですから、ドーピングによる兵士育成も悪かといわれればなんともいえないところです。薬物で強化人間を作って戦場に送り込む・・・と言えるほどの効果はぶっちゃけ現在のドーピング薬にはありません。
 
さらに夢を壊すような感じで話を続けると、オリンピック記録自体がもはや人類の限界値であり、走り幅跳びや棒高跳びもなどでも数センチ、砲丸投げに至っては28年間かかって1センチしか記録が更新されていません。ようするに1つのルールにおいて人類が到達できる限界値というものがすでに知らされているわけで、そのくらいの拮抗状態においてドーピングは僅かな記録更新に使えるか・・・? 程度のもので、仮にドーピングOKになったところで、記録はそんなに大きく更新しないと思います。

 
●ドーピング薬の種類

国際オリンピック委員会が発表しているドーピングのカテゴリーはいくつかありますが、まとめると以下の感じになります。「IOC PROHIBITED LIST」なんかで検索すると公式でこの薬物がダメというリストがあります。逆にみればドーピング薬のリストなわけです。大半が医薬品で、中にはドーピング検査を免れるために分子構造を少し変えた「脱法ドーピング薬」的なものも含まれていますが効果はオリジナルとどっこいか、それ以下というところでしょう。

1)興奮剤

コカイン、アンフェタミン、メタンフェタミンなんかの非合法ドラッグにも使われる成分、風邪薬に含まれるエフェドリン、脂肪燃焼剤のフェンテルミン、ADHDの治療薬のメチルフェニデートなんかが含まれるカテゴリーで、オリンピックだとコーヒーの中のカフェインすらNGとかヒステリックな仕様になっています。興奮剤は、疲労を感じさせにくくしたり、エネルギー効率を高めることで、常にエンジンがあったまった状態にする感じで、集中力を上げるので雑念を消し、フルパワーを出すことができる・・・のですが、オリンピック選手くらいの桁違いのトレーニングをしている人たちに果たして期待できるほどの効果があるのかは謎です。飲み薬から注射まで多様な形態があります。

2)鎮痛剤

モルヒネを初めとする、その回りの化合物群で、モルヒネの受容体であるオピオイドレセプターの研究の進歩に様々な痛み止めが開発されています。
すでに筋疲労が起こっていても無視できますし、スタミナ勝負のときにこれが入ってると、体がオーバーヒートしようが無視させてくれるわけです。抗炎症剤でも同様の効果があるものもあり、その辺も含めてザックリと禁止薬になっています。
そこそこ意識あるまま、痛み信号だけ遮断するといった凶悪な薬も人間用ではないか、試験的なものであれば、あるにはあります(笑)。飲み薬から注射まで多様な形態があります。

3)筋肉増強剤

男性ホルモン作用蛋白同化ステロイド、アナボリックステロイドや、たんぱく同化剤などなどいくつかの呼び名があります。一番ドーピングらしい感じで人によってはこれくらいがドーピング薬という認識かもしれません。 医療用としては先のリハビリや骨粗鬆症や慢性腎疾患や体力消耗の回復など人間を強化するための薬では本来ありません。

基本は男性ホルモンで、男性ホルモンの筋肉をつけろという信号を人工的に入れることで、筋肉の成長が著しく促進されます。こうした筋肉増強剤の特徴として忘れがちなのが、飲んだだけで強靱になるわけではなく、あくまでトレーニングの効果を出やすくする薬であるということです。飲み薬から注射まで多様な形態があります。筋肉を成長させ脂肪を減らすためダイエット効果も高く、セレブなマダムに愛用されています(笑)。
ちなみに飲んだだけで服が破けるほど筋肉が成長し、怪力が出せるようになる・・・という薬は現実では存在しません。

4)増血剤
 
ここ最近のオリンピックでちょこちょこ話題になる赤血球を増やす薬です。赤血球が減っていき貧血を起こすような難病の治療に使われだして、赤血球が減る副作用を打ち消すなど、わりと広範囲で使われている遺伝子組換え製剤の1つ。エリスロポエチンなどがあります。この薬の摂取は注射薬のみ。

もともと組織が低酸素に晒されると腎臓から分泌されるタンパク質で、骨髄の中で赤血球が作られる信号となります。このホルモン自体は極めて微量でしかも元々体内にあるものなので、ドーピングかどうかを見極めるのが難しく、長い間見逃されてきたドーピングといわれています。
現在は血液の徹底的なスクリーニングテストなど金をかけた検査をすると発覚するようです。

そこで選手を高地でトレーニングさせてそのあと元に戻るまえに記録に挑戦する・・・みたいなわけわからん手法があり、また高地でトレーニングして出来上がった酸欠に強い血を抜いておいて試合前に自分に戻すという血液ドーピングもあり、一応禁止されているものの発見は困難です。
 

5)β遮断薬

β遮断薬。ベータブロッカーなどとも言われます。
交感神経の高ぶりを押さえる薬。日本で代表的な薬にはプロプラノロールやナドロールなどがあります。

ようするに興奮を抑える薬です。どうして、そんなものがドーピングに使われるのかというと、アーチェリーなどの集中力、手先のふるえなどが致命的な競技では、逆にこれらの興奮抑制剤が効果を発揮するわけです。興奮を伝える交感神経の終末で血管の収縮を司るのがα受容体、心臓の鼓動心拍、血管拡張などを司るのがβ受容体、このβだけ(厳密にはβ1、β2と分かれているが)を選んで神経伝達を邪魔してやれば、他の興奮は伝えても心臓のドキドキと血管拡張だけを抑えることができるので、臨戦態勢だけど、冷静沈着な状態を作ることができる。
これらはもともとは高血圧症や狭心症、または特定の偏頭痛の治療などに使われる薬です。

6)利尿剤

読んで字のごとく尿を出す薬で、フロセミドなんかが有名な薬です。
そんな薬のどこがドーピング薬なのかというと、むくみを取ったり、脱水することで体重を軽くみせかけたりといったことに使われる。とはいえ、効果はたいしたこと無くドーピング検査を逃れるために尿のサイクルを早めて排出を促すのにも使われていたのでおまけ的な印象がある。

7)ドーピング検査隠蔽剤

最後に、ドーピング検査はその方法が概ね分かっているので、それに対して、ドーピングした証拠が尿や血中に出ないようなマスキング剤を入れるというものがある。しかしオリンピックはそこに異様なほどの情熱を注いでいるので、オリンピックのドーピング検査を逃れる方法を考えるくらいならナシでがんばったほうが早いレベルとまで言われている。オリンピックは時代にそぐわぬ難のある祭典だが、その点だけは良いのかもしれない(笑)。他にもいろいろ細かい薬はありますが、この辺にしておきましょう。

●副作用の実例
 
実際にアスリートがかなり高容量のドーピングを行って副作用がどの程度出るかという追跡実験があります。女性アスリート10人の実験例です(JAMA 1985;253:2871-2873 Anabolic Steroid Use and Perceived Effects in Ten Weight-Trained Women Athletes)

スタノゾロールの錠剤 1畳当たり5mg

使用薬物はスタノゾロール12mg/日、オキサンドロロン10mg/日、メステロロン50mg/日を10週間使い、最後の6週間はスタノゾロール50mg、メステロロン30mgをそれぞれ2日おき注射するというウルトラヘビーなドーピングです。
どれくらい凶悪な分量かというと、スタノゾロールだと通常1日5mg~10mgがドーピング的な効果を発揮しはじめ、フィットネスクラブに通うセレブマダムがこっそり使っている分量がこの辺です。それを似たような薬で3倍掛け、さらに最後は注射薬で追加で血中濃度を上げています。
副作用が絶対に出そうな分量です。

これら男性ホルモン様薬物の主だった副作用は「男性化」です。
これは声が太くなったり、おっぱいが縮んだり、無月経になったり、さらにクリトリスが肥大したり、骨盤が男性化したりもする・・・などとされています。ちなみに男性が使うと、本来の男性ホルモンの働きが壊れることで、逆に「女性化」作用が起きることで、勃起不全から乳房の発達など性がぐだぐだになってしまうことが知られています。

これらの副作用がどの程度でるのか? ハードなドーピングをしている女性アスリート10人の追跡結果は性欲の昂進、ひげ、クリトリスの肥大化などはほぼ全員に起こり、ニキビは半数増加、体毛の変化は半分、脱毛は2名、食欲は増加は8人、体脂肪率は8人が減り2人が変わらず・・・といった結果です。
これを副作用の塊とみるか、思ったほどひどくないと取るかは個人次第ですが、長期的に見ると肝臓へのダメージが怖いのと、戻らない副作用がどれだけなのかという点です。
 
ただ、現在はそうした副作用の研究も進んでおり、先からちらちらと出ている、金持ちフィットネスマダムの間で医師が手助けをしていることも話題になっています(問題になっているとは敢えて言いにくいため)。ちゃんと医師がコントロールして体作りをしていくことに関しては追跡調査が乏しいので当然推奨されるべきものではないですが、双方が納得しているのであれば、なんとも他人がとやかく言うのはおかしいのでなんともいえないわけです(笑)。

●未来のドーピング

現在遺伝子解析技術の進歩に、組み替え遺伝子の導入がアメリカでは民間レベルでできるようになってきました。2016年、遺伝性の疾病でどんどん体中の筋肉が衰えていく難病、宇宙物理学者のスティーヴン・ホーキング氏も罹患していた筋ジストロフィーの治療に道筋がたてられた。
ゲノム編集技術を用いてウイルスに特定の遺伝子を運ばせて、体内の遺伝子を組み換えて、棒状の細胞質タンパクであり筋肉のくさびにあたるジストロフィン (dystrophin) の生成が阻害されないように遺伝子を組み直すという治療法です。
2016年にはマウスで成功、2018年にはイヌで部分的に成功。つまり技術的には筋肉を増やす遺伝子を体内に導入することが可能になってきているということです。

こうした技術も転用すれば健常者がより強靱になりやすい体質に組み替えることができることになる。
例えばすでに見つかっている、85%の黒人が持ちそれ以外は50%以下の保有率の遺伝子は577R遺伝子と名付けられている。この遺伝子を導入すれば誰もがスポーツ選手の黒人級の強靱な筋力を手に入れることができる。またIGF-1とよばれるインスリン様成長因子1のペプチドが出やすいように改造すると、筋力の瞬発的な能力が向上することがしられています。つまり怪力遺伝子となります。
将来的には人間の遺伝子を切り貼りするだけには収まらず、動植物の遺伝子、形質なども取り込むことも可能になるかもしれません。すでに植物に動物の能力を組み込むことは大規模に成功していますし、マウスやウサギに蛍光遺伝子を組み込むなんてことも実用化されています。

あとはどの遺伝子をどう入れればうまく動作するかを調べるだけです。

21世紀に入った私たちは、気がつけば生命の根幹に触り、そして自らをアップデートしてしまう時代に来ているのかもしれません。

それを恐怖するか面白いと受け入れるかは、これもまた「人それぞれ」なのです。

※6月11日(火)の連載はお休みになります。次回は6月18日(火)を予定しております。

くられ

*Discovery認定コントリビューター

サイエンスライター、Youtuber、大学講師第など幅広く活躍。「アリエナクナイ科学ノ教科書」(ソシム)日本SF大会主催 49回 星雲賞ノンフィクションを受賞。近著は化学の生化学の入門を楽しいキャラで学べる「毒物ずかん」(化学同人)、アリエナイ理科ノ大事典(三才ブックス)薬理凶室名義 などがある。現在週刊少年ジャンプ連載中の「Dr.STONE」では科学監修を務める。

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タイトルイラスト:夢路キリコ https://www.yumejikiriko.com//