アリエナクナイ科学ノ教科書:第13回 死の科学

この連載も早いもので第13回。曰わくありげなサーティーン!
そんな数字に合わせて今回のテーマは「死」。

映画や漫画などのフィクションでも、「死」というのは一つの物語の終焉であったり、転機を与えるエッセンスであったり、世界を一変させるイベントです。
本連載の前身である「アリエナクナイ科学ノ教科書」(ソシム 発行)という本では、「人間の耐久性」という面から、どういったダメージを受けると死んでしまうのか・・・という話をしました。
今回は、その結果ともいえる「死」とはそもそもなんなのか? 死の定義とは? 科学の進歩によ「死」というものはかなり曖昧なものになってきました。

●生物学的な死

人間の生命を維持する根幹といえば、脳と心臓。このどちらかが壊れると人は死んでしまうのですが、どうしてでしょう? フィクションではゾンビでさえ脳か心臓を吹き飛ばされると死んでしまいます。それだけに重要臓器というのはみんな知っていますが、「どうして死んでしまうのか」というのは考えたことがないかもしれませんね。

答えは簡単で「酸欠」です。

脳も心臓も呼吸と関係ないじゃん・・・と思うとおもいますが、人間が生命を維持している状態というのは、まず栄養を口から摂取し、その代謝を行うために酸素をまんべんなく全細胞に行き渡らせなければいけません。

全細胞に酸素を届けているもの。それが血管であり、その血管の流れの始まりこそが心臓なので、心臓が止まると死んでしまうのです。その心臓を動かしているのが脳であり、脳は大量の酸素と栄養を常に必要とする非常に脆い臓器なので大きな弱点となっているわけです。
だから脳と心臓はクリティカルな弱点なわけです。でもでももっと大事なことを忘れています。酸素の供給が止まると死ぬ。つまり、酸素はどこから来ているのか? ご存じの通り肺です。

つまり、肺から入った酸素が取り込まれ、それが心臓に運ばれ、血管で全身の臓器、細胞に送り届けられて我々の体は常に代謝をし続けて体を維持しているのです。
呼吸ー心臓ー脳 この3つが常に支え合って命がまわっていて、このどこかが壊れると、時間差こそあれ、それぞれが崩壊し、死に至るわけです。

●呼吸と死

さて、この「生きてる」ことを維持するための3本柱から「死」を見ると、非常に理解が早くなってきます。いやいや、この連載は、ドラマやフィクションのための科学設定の話、この「死」の概念を知っておけば、どれくらいのダメージでどれくらいで意識を失うか、再起不能になるのか、本当に死ぬのか、そうしたリアリティある描写には欠かせないのです。

まず、脳が破壊されると、当然心肺機能を自立して動かす信号が送られてこなくなるので当然死にますが、行動不可能になるまで以外と時間がかかり、例えば拳銃を持って撃ち合ったとして、片方が頭をブチ抜かれたとしても、残った体は引き金を引くことくらいはできるようです。脳死患者が部分的に生きている脳を使って手足を動かしたり声を発することがあり、旧約聖書の復活した人の名をとってラザロ徴候と呼ばれています。また、首を失ったニワトリ、ミラクルマイクが有名で、1945年4月20日~1947年3月17日という18ヶ月ものあいだ首を切断したあとのニワトリが生きていた事例がある。
実際は、完全に頭を落とされたわけではなく、屠畜の際に偶然にも脳幹の一部を残した状態で頭を切断、たまたま血がすぐに固まり止血されたため、その後傷が癒え、ミルクと水の混合液を食道に流し込むなどして延命され体重増加までして18ヶ月生きたというものです。

話がそれました、ともあれ、人間は多くの動物の中でも特に脳が進化した特殊な生き物なので、逆に弱点ともなっており、実際に死刑に使われる方法でさえ、絞首刑として首にロープをかけて、体重で頸動脈を圧迫したり、頸椎に致命的なダメージを与えるようになっているわけです。
また、後ろから腕でヘッドロックをかけてそのまま意識を落とす、チョークスリーパーも腕力にてこをかけて頸動脈と頸静脈が圧迫され脳への血流が激減。これだけで人間は15~20秒で意識がショートするため、チョークスリーパー(首絞め眠り)、スリーパーホールド(眠らせがため)といった名前で呼ばれるわけです。しかしその後意識が回復せず絶命に至ることもあるため遊び半分で絶対やっちゃだめなのです。運動部でしばしばこのチョークスリーパー遊びが流行り、ちょいちょい死人が出ています。

ちなみに首を絞めることによる窒息はわかりやすいですが、そもそも呼吸というのは、肺が自発的に膨らんだり縮んだりしているわけではなく、その下の横隔膜の伸縮運動によって呼吸は行われます(胸郭運動という)。なので胸郭を圧迫されるだけで呼吸ができず死んでしまいます。瓦礫の下に下敷きになって死んでしまうというアレです。だいたい体重の2、3倍の重さが1時間上に乗っていると死亡するという例がある。この重さというのは意外と簡単にできて、例えば砂浜の砂も100立法センチメートルあたり2、3kgなので横倒しにした人に砂をこんもり盛っていくだけでそれが少し水を含んでいたりすると圧迫死が可能になるわけで、そう考えるとけっこう怖い数字です。遊びでも首まで人を埋めて遊んだりしないほうがいいでしょう(地圧はもっと高いのでやばい)。

他にも銃で撃たれた、日本刀で袈裟斬りされた、こうした状況だと、動脈がバッサリいって凄まじい開放創ができるので、血圧が急激に低下、その結果脳に血液がいかなくなって意識がなくなり、さらに止血延命処理をしなければ死に至ります。それでも相手が突撃銃をもっており、それを撃ち殺したところで、相手が死にながらも乱射してくると怖い・・・ということから、ストッピングパワーという概念がアメリカで提唱され、いろいろ話をややこしくしています。このストッピングパワーに関しては、日本語では亜留間次郎氏の「アリエナイ理科式 世界征服マニュアル」に異様に詳しくあるので気になった人は買って読んでみてください。

毒殺も基本的には臓器の一部を止めるか、青酸や一酸化炭素のように物理的に血液を破壊しにいくかというものも含めて、結果的に「細胞の呼吸を止める」というところで、落ち着きます。

そう考えると、銃撃も打撃も斬撃も電撃さえも、実は「細胞の窒息死」であり、実態は意識を失うまでがまずワンセット、そのあと回復可能か不可能かに分岐、そして細胞の窒息が全身に波及し、最終的に細胞が窒息しつくしたところで初めて「完全なる死」が訪れるわけです。

●複雑化する死

しかし現在の医療水準では、脳死と呼ばれる意識を司る部分が死んでいても、自律呼吸や心臓の鼓動を司る脳幹が生きている場合、その補助をしてやるだけで、相当な延命(?)をすることが可能です。

これが現在医療において多くの倫理的問題となっています。日本では高齢者の年金や医療保険に家族がぶら下がっていることがあり、医師が延命措置を提案しても家族が生活費のために無理にでも生かす選択肢を選ぶ・・という「死」が曖昧になった弊害も出つつあります。

また「死」の定義自体が、医療の進歩によって変わりつつあります。
一端心臓も呼吸も止まり、死後 数時間たったあとも蘇生に成功した例があり、また脳から記憶やその人の人格を抽出する試みも実験段階ですが着実に進んでいるといったことを、前著で紹介しました。

今後テクノロジーの進歩によってより「死」が曖昧になってくる・・・そんな時代に私たちは生きているのです。

くられ

*Discovery認定コントリビューター

サイエンスライター、Youtuber、大学講師第など幅広く活躍。「アリエナクナイ科学ノ教科書」(ソシム)日本SF大会主催 49回 星雲賞ノンフィクションを受賞。近著は化学の生化学の入門を楽しいキャラで学べる「毒物ずかん」(化学同人)、アリエナイ理科ノ大事典(三才ブックス)薬理凶室名義 などがある。現在週刊少年ジャンプ連載中の「Dr.STONE」では科学監修を務める。

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タイトルイラスト:夢路キリコ http://www.yumejikiriko.com/