禍々しいと忌避されたトマトがイタリアの国民食となるまで…「トマト」と「パスタ」の運命的な組み合わせ

 

イタリアの国民食「トマトソースのパスタ」。

トマトソースを基調にしたパスタは、もはや世界中に数えきれないほどのバラエティが存在する。しかし、自国料理への愛情が極度に強いイタリア人が、イタリア国外で恋しく思うものはシンプルなトマトソースのパスタと言われている。2018年の春に復活したイタリア国鉄の食堂車に採用されたのも、「トマトソースのパスタ」であった。

トマトが新大陸からヨーロッパに到着したのは、16世紀の半ばであった。それから、トマトがパスタと組み合わされ定番となるまでに、なんと250年以上の年月を要した。

 

その外観が毒々しい!と異端視されたトマト

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トマトは、アメリカ大陸発見後まもなくヨーロッパに運ばれた食材のひとつである。16世紀半ばにヨーロッパに伝わったトマト、その形状がヨーロッパでは魔術に使われる『マンドゴラ』を連想させるとして敬遠された時期が長かった。真っ赤な色が毒々しいとされて、人々はまったく食指を動かさなかったのだ。

トマトについての記述は、当時の医師によってヨーロッパ最初の記述が残っている。それによると、キノコやナスのように油で揚げて塩と胡椒をかけて食べるべし、とある。しかしトマトの普及はいっこうに拍車がかからず、もっぱら貴族の食卓の「装飾品」として使用されていたという。

料理人による「トマト」を使ったレシピの記述は、1世紀以上後の1692年まで待たねばならない。

 

肉の味付けとして登場したトマトソース

ナポリの副王付きコックによって考案されたこのトマトの料理は、肉の味付け用のソースであった。グリルしたトマトを、玉ねぎやトウガラシ、香辛料とともにみじん切りにして肉にかけたというもので、現代の感覚でもおいしそうだ。

注目すべきは、トマトの最初の料理らしいレシピが、ナポリの宮廷から発信されたということであろう。パスタやピザの故郷といわれるナポリは、トマトとも腐れ縁ともいうべき関係で結ばれていたのである。

パスタとトマトの組み合わせは1803年

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トマトとパスタを組み合わせたレシピは、1803年にローマに登場する。しかし、我々が創造する「トマトソースのパスタ」ではない。1803年のトマトの料理は、「ミネストラ」と呼ばれるスープに小さめのパスタが入った一品である。ミネストラには本来、コメが入れられることが多かったそうだ。しかし、1803年当時のローマでは小さめのパスタが大流行、これにトマトが組み合わされたのである。

この料理は、グルメガイド本の元祖であるフランスの『美食年鑑(Almanach des gourmands)』にも登場している。

 

そしてナポリを、イタリアを、世界を席巻した「トマトソースのスパゲッティ」登場!

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いよいよ、「トマトソースのパスタ」の登場である。

マカロニとトマトの組み合わせが登場したのは、1807年。その30年後の1837年、先祖はダンテ・アリギエーリの友人であったという由緒正しきナポリの貴族イッポーリト・カルヴァカンティによって、非常にシンプルなトマトソースが紹介される。彼の著作『実践的かつ理論的料理』というものものしいタイトルは、ナポリ方言で書かれている。ここで初めて、トマトソースは「スパゲッティ」と出会うのである!

スパゲッティ1,8キロに対して、使用されるトマトは2,7キロ。煮込んで皮を取り除いたトマトソースを、冬にはラード、夏にはオリーブオイルににんにくを入れて香り付けしたフライパンに加える。味付けは塩コショウのみ。シンプル・イズ・ザ・ベストを地で行くレシピなのだ。

わずか数十年で、このレシピはナポリをこえてイタリア半島へと普及する。

そして1940年、イタリア人の起業家ジョヴァンニ・ブイトーニがニューヨークのタイムス・スクエアにオープンしたレストランで、「トマトソースのパスタ」は25セントで提供された。これによって、その人気はインターナショナルになったといわれている。

Sachiko Izawa

*Discovery認定コントリビューター

イタリア在住ライター。執筆分野は、アート、歴史、食文化、サイエンスなどなど。装丁が気に入った本は、とりあえず手に入れないと気持ちが落ち着かない書籍マニア。最近のひとめぼれは、『ルーカ・パチョーリの算数ゲーム』。@cucciola1007