パリ・セーヌ川に現れた怪物『ヨーロッパオオナマズ』

世界でもっともその名を知られた都市河川、それはおそらくフランスはパリ市街地を流れるセーヌ川であろう。

セーヌといえばエッフェル塔にルーブル美術館といった名所を川辺に多数たずさえる国際的な観光地である。パリジャンたちが歯の浮くようなセリフで愛を語らう平和の吹き溜まり…。

こんなところで人間より大きな怪物魚が釣れる!そう言ったところで誰が信じるだろうか。

▲平穏なセーヌのほとり。ここに世界最大級の淡水魚が潜んでいる。

たしかに十数年前までは到底ありえない話だったのだ。しかしここ最近のセーヌでは身の丈ほどもある巨大魚の目撃が相次いでいる。さながら都市伝説であるが果たして…?その正体を突き止めるべく、僕は花の都へ飛んだ。

初めて訪れるセーヌ川は街並みと穏やかな水面が調和した、聞きしに勝る美しい水辺だった。思いのほか水も澄んでおり、浅瀬には水草が青々と流れにたなびいている。小魚も豊富だ。ヨーロッパ企画有数の大都市を流れているとは思えぬ綺麗な川である。周りに人さえいなければ泳いだっていい。

だが、残念ながら川辺にはおびただしい数のアベックが。釣りをするには少し気が引ける。だがよくよく見渡すと釣り人の姿もチラホラ。聞けばチャブというコイ科の魚やパーチというスズキの仲間を狙っているという。

▲ミドルたちはのんびりとウナギを狙う。餌はなんとチーズ。些細なところまでパリらしい。

ただし、パリ市街地で獲れた魚は衛生的な理由で食してはならないというお触れが市から出ているらしい。ゆえに彼らの釣りはあくまでゲーム。釣れた魚はキャッチ&リリースされる。
陽が傾いた頃、彼らに混じって釣り竿を伸ばす。ノートルダム大聖堂を眺めながら投げ込んだルアーに何かが勢いよく食いついた。石畳の上で格闘すること数分、橙色の街灯に照らし出されたのは120cmを超える巨大なナマズであった。これがセーヌに潜む怪物の正体だ。

その名は『ヨーロッパオオナマズ』。世界最大級の淡水魚である。日本に生息するマナマズに近縁な魚だが、大きさは段違い。大型個体では全長2mを優に超え、体重は100kgに達するものもあるという。
つまり、今回捕獲したこの個体でもまだまだ若造。人間でいえば中学生サイズにすぎないのだから恐ろしい。

▲大聖堂前に現れたヨーロッパオオナマズ。
▲形態は日本のマナマズによく似るが、マナマズのヒゲが二対のみなのに対してこちらは三対。

それにしてもなぜこんな巨大魚が、よりにもよってセーヌにいるのか。そもそも、ヨーロッパオオナマズは元来セーヌ川には生息していなかった魚である。それがスポーツフィッシングの対象魚として持ち込まれて野生化、定着してしまったのである。フランス第2位の長さを誇る大河セーヌは幸か不幸かその巨体を育むのに十分な懐深さを備えていたのだ。またセーヌ川自体が重大な観光資源であるがゆえ、水質がある程度の水準で保たれていたことも大きい。これも汚染に強くない彼らが欧州随一の都市でアーバンライフを送れている理由の一つである。

ところでこの大ナマズ、パリではまだまだその存在が浸透していない。そのため、うっかり釣り上げてしまうと大騒ぎになる。今回もなるべく人目を避けたつもりであったが、ギャラリーがわらわら集まってきた。さぞ彼らのSNSは盛り上がったことだろう。しかしあと10年もすれば、こんなものは当たり前の光景になってしまっているのかもしれない。在来の生態系へ与える影響という観点からもこの新たな『セーヌの主』の動向に注目すべきだろう。

平坂寛

*Discovery認定コントリビューター

生物ライター。五感で生物を知り、広く人々へ伝えることがポリシー。「情熱大陸」などテレビ番組への出演や水族館の展示監修などもつとめる。著書に「喰ったらヤバいいきもの」(主婦と生活社)
「外来魚のレシピ: 捕って、さばいて、食ってみた」「深海魚のレシピ: 釣って、拾って、食ってみた」(ともに地人書館)がある。
ブログ:平坂寛のフィールドノート