ロンドン 運河の切り裂きジャック『ノーザンパイク』

ヨーロッパ最大の都市、ロンドン。欧州のみならず世界における文化、学術の中心地である。近世以降、常に発展・整備されてきたこの街に深い森や大きな湖はない。だが、この先端都市にもやはりモンスターフィッシュは人知れず潜んでいる。それも人々の行き交う、そのすぐ足元に。

ロンドン市街には“カナル”と呼ばれる細い運河が密に張り巡らされている。カナルは古くは運輸と交通を、現在では観光産業を支えてきた。

▲ロンドンのカナル。日中の水面にはボートが、岸辺の歩道には多くの市民が常に往来している。

“ノーザンパイク(以下パイク)”。カナルに暮らすこの魚は大きなもので体長1m以上、体重は20kgにも達する大型肉食魚である。

体色は水草の茂るカナルで保護色となるオリーブグリーンのまだら模様。体型は細長い円筒型で、ロケットのようにヒレが魚体の後方に集中している。これは直線的な短距離遊泳を得意とする、というかそれしかできない魚の体型だ。この手の魚は獲物を待ち伏せて急襲する。

カナルは人工的な水域だが、実はこうした肉食魚には都合が良い環境である。全面が浅く水草が茂りやすいため、小魚やエビなど餌となる生物が密集するなのだ。

▲カナルには小魚が密集する。これはヨーロピアンパーチと呼ばれる肉食魚で、ノーザンパイクの主食になっていると考えられる。

つまりロンドンのパイクは「人口的な環境なのに」ではなく「人口的な環境だからこそ」栄えた魚であると言える。ちなみに日本でも用水路のナマズ、クリークのカムルチー、京浜運河のスズキなどは同様の経緯で繁栄している。

パイクは極めて貪食な魚で、目についた生物に手当たり次第に食いつく獰猛さを見せる。口に入りきらない獲物であっても、自身よりも弱い動物だと認識した瞬間に飛びかかるのだ。

時に同種内で共食いもするし、水鳥や哺乳類さえもその牙にかける。事実、ロンドン市民への取材では「子犬を水中へ引きずり込むのを目撃した」というショッキングな証言も飛び出した。

物陰で待ち伏せ、通りかかった獲物を無差別に襲う…。さながら水中の切り裂きジャックである

そんな悪食どもが細いカナルにひしめいているとあらば、捕獲はさぞ容易だろう。往来の中で釣竿を伸ばす。が、まったく食いつく気配はない。代わりにロンドンっ子達の好奇の視線が大漁である。恥ずかしい。どうやらシャイなのはパイクも同じらしく、人影を警戒して捕食をためらっているようだ。大胆かつ慎重!切り裂きジャック恐るべし!

▲小洒落た通りで竿をかついでウロウロするのはどうにも気がひける。

ならばと翌日、通行人も船の往来もない早朝に水辺へ立った。静まり返る水面に小魚を模した疑似餌を投げ込むと、待ってましたとばかりに『襲撃』を受けた。釣られたパイクはその場で首を振ってもがくように抵抗する。泳ぎが不得手な魚に特有の挙動である。グラフィティアートまみれの橋脚を背に、大きな魚体が水面を割って跳ねた。逃すものかと飛びついて抱え込む。

▲ロンドンのノーザンパイク
美しい魚体もさることながら、まず目を引くのはその口元だ。アヒルの嘴のようにバカッと大きく裂けた顎。そしてそこに並ぶ無数の鋭い歯。
しかもすべての歯が喉奥へ向かって生えている。これは口に入れた餌が暴れて逃げ出さないようにホールドする『返し』である。咀嚼ではなく捕獲に特化した歯。これが彼らの貪食さを支えているのだ。
▲大きく裂けた口が本種の特徴。
▲咀嚼ではなく獲物の拘束を目的とした歯。

ちなみにパイクは北米から北ユーラシアの広い範囲に分布するが、本来このロンドンには生息していなかった魚である。

日本におけるブラックバスと同じく、スポーツフィッシングのターゲットとして他地域から持ち込まれたと言われている。外来魚というものは人の文化ありきの存在なのである。ならば世界の中心であるロンドンにパイクがいることはとても自然な不自然と言えるかもしれない。

平坂寛

*Discovery認定コントリビューター

生物ライター。五感で生物を知り、広く人々へ伝えることがポリシー。「情熱大陸」などテレビ番組への出演や水族館の展示監修などもつとめる。著書に「喰ったらヤバいいきもの」(主婦と生活社)
「外来魚のレシピ: 捕って、さばいて、食ってみた」「深海魚のレシピ: 釣って、拾って、食ってみた」(ともに地人書館)がある。
ブログ:平坂寛のフィールドノート

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