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フェラーリのように赤く日本刀のように鋭利、でも斬るのはお肉だけ!誕生120周年を祝うオランダの肉スライサー

モーツアルトの交響曲は、譜面までも美しい。

それに似て、完璧な性能を誇る機械であれば、たとえそれが「肉を切る」という日常的なシーンの一部であっても絵になる。

120年前、オランダはロッテルダムの一肉屋が、より正確により早く肉を切るという唯一無二の情熱で完成させた肉のスライサー。ハムの熟成度、肉の柔らかさなど、あらゆる条件にマッチしたスライスを可能にしたこの機械は、肉屋の世界の「フェラーリ」と呼ばれている。

 

1898年12月に起業、あっという間に世界中でシェアされたスライサー

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今でこそ、肉屋やハムづくりの職人がナイフで薄く肉を切ると、それは「職人芸」の一部としてもてはやされる。

しかし、120前のオランダのロッテルダムには、条件に合わせて肉を切る機械の発明に情熱を燃やした男がいた。

彼の名は、ヴィルヘルムス・ファン・ベルケル。

肉屋であった彼は、同時に機械にも非常に通じていた。ハムやサラミ、肉の柔らかさや熟成度によって、厚みや切り方が変化する肉屋の極意を、機械に伝えたパイオニアである。垂直に設置された円形の刃と、前後に動く肉を乗せた皿の部分で構成されたスライサーは、シンプルであるが天才的な発明であった。1898年、アラサーの彼は完成したスライサーを販売する『ファン・ベルケルズ・パテント・カンパニー』を設立。1年で100台近くを売り上げ、またたくまに世界中にシェアを広げた。

彼の幸運は、妻によっても支えられていた。多額の持参金をもって嫁いできた妻のおかげで、彼はロッテルダムとその近郊に10店の肉屋を所有していたといわれている。数多くの従業員を抱えていたベルケルにとって、開店準備のために肉を切る作業をよどみなく進めるための機械は必然であったのかもしれない。いずれにしても、発明や起業のために金銭の心配をする必要がなかったことも、ベルケルの「徳」であった。

「オランダの赤い魔法」と呼ばれる緻密性とデザイン

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ベルケルの会社は、世界大戦などの紆余曲折を経て、現在はイタリアに本拠地を置いている。彼に続いて、各地で同じようなスライサーが次々と登場したものの、デザイン性と正確性においてベルケルをしのぐものはないといわれてきた。

それに加えて、デザインにこだわるイタリア人さえも虜にしたのが、肉を切る機械というあまり絵にもならないシーンを絵にしてしまうスライサーの洗練であった。ベルケルは、発明当初から、機械本体を深紅でデザインしていた。その後、ほかの色も登場したものの、フェラーリやヴァレンチノと同様に、スライサーの色といえばベルケルの「赤」が一般的である。スライサーのデザインと色を中心に、肉屋の内装がされたのかと錯覚するほどの存在感を持つ。ベルケルは、機械のシステムに精通していただけではなく、美に対するセンスも有していたのであろう。

 

120周年を記念してミラノで記念展が

革新的なこのミートスライサーは、今年で誕生120周年を迎えた。機械好きの男性たちにとっては、この機械の美はコレクションの対象になるほどである。

ミラノのレオナルド・ダ・ヴィンチ記念国立科学技術博物館では、10月に「ア・スライス・オディッセイ」と名付けた展覧会も開催され、ベルケルの偉業をたたえている。

 

Sachiko Izawa

*Discovery認定コントリビューター

イタリア在住ライター。執筆分野は、アート、歴史、食文化、サイエンスなどなど。装丁が気に入った本は、とりあえず手に入れないと気持ちが落ち着かない書籍マニア。最近のひとめぼれは、『ルーカ・パチョーリの算数ゲーム』。@cucciola1007

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