Credit : 夢路キリコ

アリエナクナイ科学ノ教科書:第6回 Breaking Badに学ぶ 科学描写の使い方とごまかし方

ドラマや映画、漫画やアニメ、そうしたフィクションのお話のディティールをあげる物に科学設定というものがある・・・という話をこれまでしてきましたが、そうした設定はややもすれば犯罪スレスレだったりもします。むしろ、そうした作られたドラマであるが故に、そのディティールをあげるあまりに、過激なリアル追求が求められることもあります。

そうした中で科学の表現は、そのまま悪用されてしまいかねないものもあり、描写においては注意が必要です。その線引きをうまくやってのけているのが、大ヒットしたクライムサスペンスVince Gilligan氏による「Breaking Bad」ではないでしょうか。

「Breaking Bad」をご存じの無い方のために、簡単に説明しておくと、ある高校の化学教師が、ひょんなきっかけから麻薬の世界へ、ギャングの世界へと身を堕としていく話です。
そのストーリーの中で、覚醒剤(Meth:メス)を合成したり、爆薬を合成したり、死体を薬品で隠滅したりと、化学の知識がふんだんに状況の打開に使われます。
実際の合成している風景も非常にリアリティにこだわった物で、フィクションにありがちなカラフルな液体を混ぜて煙が出ている・・・といったトゥーン的な表現ではなく、実際にそこにありそうな装置や合成方法などを紹介しています。

●簡単にまねできるものを避ける

先にも説明した通り、「Breaking Bad」には非常に優秀な科学監修がついているようで、麻薬の合成手段などは極めて現実的にあり得る装備や薬品などを使っています。

しかしその中でもひときわ化学系の人であれば違和感のある演出があります。それが「死体処理」。

このドラマでは死体処理にフッ化水素酸(フッ酸)というものを使っています。フッ酸は非常にやっかいな酸で、強力な酸化力を持っていますが、実際は肉にフッ酸が触れると速やかにフッ素化合物が発生します。フッ素化合物は非常に安定している場合が多く、フッ酸に耐久性を持ちます。つまり、死体を溶かす以前に、死体を溶けないコーティングでより一層、隠滅処理が困難になってしまう化学物質です。

実際問題薬品、とくに酸で死体をわからなくなるまで溶かすというのはファンタジーです。

それは人体が非常に多くの物質から成り立っており、仮に酸で溶かそうと思うのなら、熱濃硫酸に過酸化水素などを加えた過硫酸、さらにそれを下から煮込むなどといった大規模な装置が必要になり、さらに反応中はとんでもない量のガスが発生し、危険な酸が飛び散ることになります。

写真は実際に、撮影用に熱濃硫酸でジーンズを溶かしてみたものです。ジーンズ程度であれば、このように溶かすことができますが、正直なところバーナーで焼いてしまったほうが正直綺麗に消えます(笑)。
故に、狭い国である日本では火葬が最も一般的なのは頷けます。

ちなみに本当に薬品で死体を処理することは可能で、過去にも水酸化ナトリウムや水酸化カリウムといった強塩基で煮込むといった処理が骨格標本作りなどでも使われます。それでも骨を完全に分解するには高温に加えて高圧も必要になります。

実際にイギリスに本社を置く会社が販売している機械では、そうした高圧チャンバーと強塩基で土葬で起こる分解を化学処理によって数時間で終わらせることをうたい文句にした「液体葬」装置を販売しています。逆に言えば、たいした設備もなく、容器に人を詰め込んで跡形も無く溶かすなんてことはフィクションなのですが、「簡単に真似」ができないように、薬品や演出、実際の手順などを「それっぽく」かつ「悪用されにくように改変」するのが「Breaking Bad」のドラマとしての完成度を上げているといえるでしょう。

●真似できないもののディティールは細かく

反対に、まねできないものに対する演出は極めて過剰なくらいによく出来ているのも「Breaking Bad」の特徴といえます。

例えば、ドラマの序盤では、風邪薬から覚醒剤(メス)を合成しています。これはアメリカ国内ではポピュラーに売られているある風邪薬の成分は、赤リンと化学反応させるだけで簡単に合成できるところから来ています。

なので実際に風邪薬を買い占め(当然成分は見せない)、それを抽出し、マッチの箱についている赤リンを取り出すなど極めて具体的な方法が描写されていますが、分離や結晶化といった最終工程などは完全にオミットしており、実際の手順などを描写しつつも犯罪指南にはならないような工夫がなされています。

また、中盤以降は、フェニル酢酸という原料を作り、そこにメチルアミンを使って全合成するという方法にシフトし、青色の結晶ができるという描写になっています。「Breaking Bad」のブルーメス。青い結晶とか非常にロマンがありますが、実際には光学異性体分離をしても青になるという論文などは見当たらないので、ドラマ用のフィクションです。実際に化学の知識がある人間が見ても、「え? そんなことあるの?」と調べたくなるような虚実を併せてドラマにしているのは、本当に優秀な科学監修がついているんだな・・・と唸らせられます。

こんなことを言うと、この記事の筆者、つまり自分は死体を薬品で溶かして隠滅もできたり、麻薬や爆薬だって自在に作れるように思われるかもしれません。

それは有機化学を普通に勉強したことがある人間なら、わりと当たり前のことで、公言するほどの意味もないからです。当然ジャンルが異なれば、合成方法や反応条件などは変わりますが、多くの麻薬なんてものは、かなり古い化合物で、しかも低分子なので合成は容易です。ただ法的にリスクが大きすぎて作るメリットがどこにもありませんし、人間に使えるレベルには精製するのも困難です。

そういった理由で趣味のレベルでアレなものを作る若いアンダーグラウンドケミストは存在しますが、大規模な犯罪組織に加担するまでには至りません 理由は簡単、合理的に利にならないからです(笑)。

どんな麻薬を作っても、利益を得ようとしたとたん、それを販売するのに犯罪組織と関わりを持つ。それがいかに普通の人間にとってデメリットでしかないか。それは「Breaking Bad」のドラマの中でも描かれている本質ではないでしょうか。

「Breaking Bad」の作中ではゲイルというアンダーグラウンドケミスト(闇化学者)と地下工場が出てきますが、麻薬の売買ごときの収益では工事費用、材料費もろもろが割に合わず採算が取れないでしょう(笑)。何より材料の安定供給が無理筋です。そうなるように法律は先に手が打たれているからです。

では本当に、犯罪組織で活躍するマッドサイエンティストなんていない・・・のでしょうか?

そうした存在はフィクションだけであってほしいものですが、そうとも言えないようです。
近年、食うに困った専門家が実際に犯罪組織の麻薬密造に関与していると思われる事例も出現しつつあります。

近年、日本をはじめ、アメリカ、オーストラリアなどで発見された麻薬の密輸手口で、麻薬自体の分子構造を麻薬ではないものにしてしまい、それを入浴剤などの名目で堂々と輸入、それを持ち込み先で簡単な化学処理でもとの麻薬に戻すというものです。分子構造が違えば麻薬検査はパスしますし、麻薬捜査犬さえも無効化してしまいます。

画像にあるのがその一例で、アミノ基をBOCという化学処理で分子的に装飾して別の物質にしています。しかしこの分子的な装飾は簡単な特定条件で分解し元の麻薬に戻ります。しかも不要なものは全部無害な気体になるというもの。本来はアミノ基を保護する有機化学の手法ですが、このような悪用法があるとはそうそう思いつきません。

しかしこれを大規模に行うには相当な知識のある化学者、それをプラント化する工学者など多くの優秀な頭脳が必要となります。現在は当然摘発されたので、対策は取られていますが、それを回避する技術も当然生まれてくる、もしくはもう存在しているかもしれません。

そういう意味では、今、世界の闇の片隅では、もっともっと闇深い深淵が生まれているの・・・かもしれません。

くられ

*Discovery認定コントリビューター

サイエンスライター、Youtuber、大学講師第など幅広く活躍。「アリエナクナイ科学ノ教科書」(ソシム)日本SF大会主催 49回 星雲賞ノンフィクションを受賞。近著は化学の生化学の入門を楽しいキャラで学べる「毒物ずかん」(化学同人)、アリエナイ理科ノ大事典(三才ブックス)薬理凶室名義 などがある。現在週刊少年ジャンプ連載中の「Dr.STONE」では科学監修を務める。

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