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『美女と野獣』のモデルになったある一族の運命 

「多毛症」という非常にまれな病気がある。

体中に、あるいは体の一部に密生した毛が生える病気である。「多毛症」が、ヨーロッパの歴史上はじめて著述されたのは16世紀のことだった。

スペイン領カナリア諸島出身の先天的な多毛症の男性が、ヨーロッパで貴族に叙せられ、81歳の長寿を全うした。ヨーロッパの因習の中で、美しい宮廷の女性と家庭生活を送った彼の姿は、18世紀に書かれた『美女と野獣』のモデルになったともいわれている。

 

大西洋のカナリア諸島からヨーロッパへ、10歳の少年の数奇な運命

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カナリア諸島のテネリフェ生まれの少年は、生まれつき全身を毛で覆われていた。彼の名は、ヨーロッパで貴族に叙せられてから知られるようになったペードロ・ゴンザレスとして有名である。フランスやイタリアの宮廷で暮らしていたことから、ラテン語風にペトルス・ゴンサルヴスとも呼ばれている。

1400年代後半、カナリア諸島はスペインに侵略される。1537年、10歳であったペードロ少年はスペイン王カルロス一世に元に送られるべく海を渡る。ところが航海中、船は海賊に襲われて、少年はスペインの宿敵であったフランスの宮廷に届けられるのである。

当時のフランス王はアンリ二世、その王妃はノストラダムスをはじめとする占星術師を重用し、エキゾチックなものにことのほか興味が深かったカトリーヌ・ド・メディシスであった。

カトリーヌは、ペードロに興味を抱き、当時としては最高の教育を施す。利発なペードロは、たちまちラテン語をものにし、人文科学にも精通するようになった。宮廷人としては、一流の人物として成長したのである。

 

宮廷の美女との結婚

適齢期になったペードロに、王妃キャサリンはフランス宮廷で美女として知られていたキャサリン・ラッフェリンを妻として与ええる。妻となったキャサリンは、初めてペードロの姿を見た時には、ショックのあまり失神したという。

しかし、ペードロの知性と感性、優しさは、キャサリンの心を征服することになる。夫妻は琴瑟相和す仲となり、6人の子供が生まれた。その姿は、1740年に書かれた『美女と野獣』にインスピレーションを与えたといわれている。

不運は、そのうちの4人に父の多毛症が遺伝したことであった。

 

フランスからイタリアの宮廷へ 

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1589年、ペードロ一家が身を寄せていたフランスのヴァロワ王家が滅亡する。

一家は、イタリアの貴族ファルネーゼ家に身を寄せることになった。身を寄せる、と言えば聞こえはいいが、実際にはなにがしかの金で売られたという言い伝えもある。ペードロに、スペイン貴族として「ドン」の称号が許されたのも、スペイン王家と縁戚関係にあったファルネーゼ家に滞在していたこの時代であろう。

ペードロは家族とともにファルネーゼ家の領土であったパルマへ、そしてナポリのカーポディモンテを転々とし、1618年にボルセーナの地で81歳の長寿を全うした。いかに夫婦関係が幸せであっても、その特異や容貌は当時のヨーロッパでは姦しい噂とは無縁ではなかったであろう。しかし、最後はこうした喧騒と遠く離れ、従容とした死であったと伝えられている。

ペードロ一家の記録は、ヴァチカン古文書館、ローマとナポリの国立古文書館に保管されている。

 

ペードロの子供たちの運命

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6人のうち、不運にも父の多毛症を引き継いだ4人の子供たちはその後どうなったのであろうか。

歴史に足跡を残しているのは、このうちの2人である。

1人は、娘のアントニエッタである。彼女は、フランスで生まれフォーンテンブローの城で育ち、父とともにイタリアに移住している。イタリアでは、博物学者ウリッセ・アルドロヴァンディによってその姿をとどめられた。また、アルドロヴァンディと親しかった女流画家ラヴィニア・フォンターナは、アントニエッタの印象的な肖像画を残している。アンドロヴァンディの学者らしい冷徹な筆と比べると、女流画家のタッチには優しさがあふれているようだ。

また、息子のアッリーゴは、ファルネーゼ家お抱えの画家アゴスティーノ・カッラッチの作品にその姿を残す。当時のヨーロッパの宮廷では、小人症の人々が慰み者として雇われるという非人間的な風習があった。その姿は、王侯貴族の肖像画にもよく描かれている。

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アッリーゴ・ゴンザレスも、こうした一人としてカッラッチの作品に描かれたのである。

アントニエッタとアッリーゴ、そしてペードロの子供たちのその後の人生は、知られていない。唯一、1617年にペードロ・ゴンザレスが孫の一人の洗礼式に出席したという記録が残るだけである。

ヨーロッパの宮廷で、慰み者として生きていかざるを得なかった人々に、温かな目を向けたのがスペインの偉大な画家ディエゴ・ベラスケスである。ベラスケスが描いたこうした宮廷の人々には、人間の尊厳が確かに存在している。

 

Sachiko Izawa

*Discovery認定コントリビューター

イタリア在住ライター。執筆分野は、アート、歴史、食文化、サイエンスなどなど。装丁が気に入った本は、とりあえず手に入れないと気持ちが落ち着かない書籍マニア。最近のひとめぼれは、『ルーカ・パチョーリの算数ゲーム』。@cucciola1007

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