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発見から50年…古代遺跡『ダイバーの墓』の深まる謎

『ダイバーの墓』という奇妙な名前の遺跡がある。

南イタリアのパエストゥムにおいて、1968年6月3日に発見された遺跡は今年50周年を迎えた。

文学者や芸術家にも影響を与えたのは、この遺跡から発見された「ダイバー」の絵であった。この絵にちなみ、墓自体も『ダイバーの墓』と呼ばれている。棺の蓋の裏面に描かれていたこの「ダイバー」にはどのような意味があるのか。学者たちのあいだでも論争が絶えない。

 

見る人の視線を離さない2500年前の「ダイバー」

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眺めれば眺めるほど視線が離れなくなる。

そんな見事な魅力を持つ「ダイバー」の絵は、イタリア半島南部が「マグナ・グラエキア」と呼ばれ、ギリシア人による植民都市が繁栄を謳歌していた紀元前480年ごろに制作されたといわれている。

若い全裸の男性が、しなやかに足と手を伸ばし、頭を上にあげて波打つ水面へと飛び込む瞬間である。蓋の四隅には、「パルメット」と呼ばれるヤシの葉が様式化されて描かれているため『パルメット(ヤシの葉のこと)の墓』とも呼ばれる。印象的な木、青い水面など、2500年の時の流れを忘れるような、究極のシンプリシティが生み出す美である。

 

墓の蓋に描かれた「ダイバー」の意味

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しかし、古代の遺跡にありがちなことに、『ダイバーの墓』にも謎が多い。

墓所を囲む東西南北の壁には、それぞれに楽器を演奏したり語り合う男性たちが描かれている。専門家の推測では、この墓所は墓の主が埋葬されて数時間で、あるいは最高でも数日で閉じられ、1968年までまさに日の目を見ることなく眠っていたのだという。

棺の蓋に、なぜ「ダイバー」が描かれたのか。あまりに突拍子もないテーマであるため、現在にいたるまで様々な説が生まれた。

2015年からパエストゥムの考古学博物館の館長を務めるドイツ人のガブリエル・ズックトリーゲルは、こう主張している。

当時、イタリア半島のギリシアの植民都市ではピタゴラスやパルメニデスの哲学が隆盛を極めていた。ピタゴラスが提唱した形而上学は、死を超えた世界を考究しようとした学問である。死後の世界をうたったオルペウス教という宗教からもインスピレーションを経て、死者のために現世の姿を転送しようとしたのでは、というのである。これが、墓の主が若い男性とされるゆえんでもあった。

埋葬された死者はピタゴラスの哲学をなんらかの形で学んでいたのでは、とはこの墓所の発見者でサレルノ大学考古学部教授のマーリオ・ナポリの主張でもあった。

 

埋葬品の貧しさ

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古代の墓にありがちな豪奢な埋葬品は、『ダイバーの墓』からはほとんど出土されていない。遺体とともに埋葬されていたのは、アッティカ風の壺、亀の甲羅を使用した「ライアー」という楽器などなど数点。非常に質素である。

そして長年、これらの埋葬品や壁のフレスコ画が「ギリシア」の文化であるのか、あるいは「エトルリア」の文化であるのかが大きな論争となってきた。

2016年に開催された学会において、エトルリア文化の影響はなかったと結論づけられ、当時イタリア南部にあったギリシア人による工房の手を経たものという説が有力になっている。

 

芸術家にも影響を与え続ける「ダイバー」

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そっけないほどシンプルな「ダイバー」の絵はしかし、発見以後さまざまな形で芸術家にも影響を及ぼしてきた。

当時の人々の意図が推測の域を出ない以上、視覚による強烈なメッセージは現代の芸術家には刺激以外のなにものでもないのだろう。『ダイバーの墓』の図像の力は、ノーベル文学賞を受賞したエウジェニオ・モンターレ、詩人ジャン・ジャック・ヴィトン、フランスのドキュメンタリー映画監督クロード・ランズマン、イタリアの映画監督フェデリコ・フェッリーニがそれに触れた作品を残していることでもわかる。

文学者のロベルト・ムサッピは「『ダイバーの墓』は、アルタミラ洞窟の壁画、ジョットのフレスコ画、システィーナ礼拝堂、パンテオンなどと同じように、芸術家に宇宙論的なヴィジョンを与えてくれる力がある」と語っている。

 

 

Sachiko Izawa

*Discovery認定コントリビューター

イタリア在住ライター。執筆分野は、アート、歴史、食文化、サイエンスなどなど。装丁が気に入った本は、とりあえず手に入れないと気持ちが落ち着かない書籍マニア。最近のひとめぼれは、『ルーカ・パチョーリの算数ゲーム』。@cucciola1007

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