死人の体内に残された種が大木に…!?キプロスの数奇なイチジクの木

子どもの頃、「スイカの種を食べたら、おへそから芽が出てくるよ」なんて脅されたことはないだろうか。

お腹から植物が生えてくるなんて、ありうるのか?そんな疑問を彷彿とさせるニュースが、ネット界を巡っている。

イギリスのタブロイド紙のThe SunやThe Mirrorなどによれば、キプロス共和国で44年前に殺害され、行方不明となっていた男性の腹の中にはイチジクが収まっていた。男性の死後、イチジクの種が男性の体の中で発芽し、養分を吸い取りながらやがて大木に成長して、男性を含む三名の遺体が発見につながる目印となった、というのだ。

 

そんなことってアリ?

残念ながら、この話は現実と虚構を織り交ぜたガセネタであったようだ。しかし、死人の腹から植物が発芽すること自体は、どうやらありうることらしい。

Live Scienceが土壌学の専門家であるオレゴン州立大学のノラ―教授(Jay Noller)に聞いたところによると、果実を成す植物は、動物にその果実を食べてもらうことで種をより遠く、広く分散させる手伝いをしてもらっている。動物に食べられた果実に含まれる種は、消化されることなくフンとともに排出され、落ちた場所でやがて芽を出す。

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従って、死んだ動物や人間の胃、小腸や大腸など、消化管のいずれかから発芽する可能性は充分にある。ポケットに入っていた種が発芽することだってありうるそうだ。人間の体が土に還る過程で、種はその養分を吸収して育つことができるという。

もしスイカの種を飲み込んだ直後に不幸な最期が訪れてしまったとしたら、おへそから芽が出てくるのもありうる話ということだ。もっとも、土葬されればの話なのだが。

 

実際の話

イチジクの木の話がどこまで事実に基づいているかを知る上で、Cyprus Mailの報道が興味深い。背景には、キプロスで1963年から1974年にかけて起こった生々しい民族紛争があった。

イギリスの支配化にあったキプロスが独立を勝ち取ったのは1960年だったが、ギリシャ系住民とトルコ系住民の間に亀裂が生じ、1974年にはギリシャの支援を受けた強硬派がクーデターを起こした。

トルコ系住民のアフメット・チェマル・エルグン(Ahmet Cemal Hergune)氏は、反体制軍に加盟していたことが災いし、住んでいた村から拉致された。彼はほかの2名の男性とともにキプロス南部のリマソール海岸沿いの洞窟に連行され、そこで無残にも殺された。

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洞窟への陸からの入り口はなく、エルグン氏らはおそらく海から船で連れ込まれたと考えられている。三人を殺害した後、犯人たちは爆薬をしかけて洞窟そのものを崩落させ、犯罪を隠蔽しようとした。

ところが、爆薬は意に反して洞窟の天井に穴を開けてしまった。その穴から陽光が差し込み、やがて洞窟の底で芽を出したイチジクの木を大きく育てた。

32年の歳月が過ぎた頃、このイチジクの枝が海岸から3メートルも低い岩の割れ目からたくましく生え出している様子が近くに住むジノフォン・カリス氏(Xenophon Kallis)の目に留まり、同時期に同じ海岸に遺体が隠されているとの密告が調査当局に寄せられたため、遺体発見に至ったというのが真相のようだ。

 

そしてイチジクの木は…

イチジクの木がエルグン氏の遺体から直接生えていたという証拠はない。むしろ、3名の遺体から離れたところで発芽し、洞窟の穴から注ぐ光を頼りに大きく育っていたとCyprus Mailは伝えている。

それでも、エルグン氏の遺族は、イチジクがエルグン氏の庭に生えていたものと同じ種類で、いかにもエルグン氏の体内から生え出したものだと主張しているそうだ。犯罪者たちが隠そうとした禍々しい過去を暴いたイチジクの木の存在は、エルグン氏の存在の延長線上にあると感じられ、いくらかの慰めとなったのだろうか。

イチジクの木がエルグン氏らの遺体発見につながる大きな手がかりとなったことは間違いない。しかし、皮肉なことに、イチジクの木は遺体を発掘する過程で切り倒されてしまった。

 

Credit: silkman / Pixabay

 

今はもうエルグン氏も、イチジクの木もいない。

 

山田 ちとら

*Discovery認定コントリビューター

日英バイリンガルライター。主に自然科学系の記事を執筆するかたわら、幅広いテーマの取材やインタビューにも挑戦中。根っからの植物好きだが、大学ではどうしても有機化学を克服できずに植物学専攻を断念。あきらめきれず、民族植物学を志してネパールへ留学したのがきっかけとなり、文化人類学に鞍替えした。それ以来、文系の道をひた走っている。とら年ではない。 https://chitrayamada.com/