ローマを守ったガチョウの伝説…カンピドーリオの丘と聖なる動物

古代から現代までローマの中心であったカンピドーリオの丘

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イタリアの首都ローマには、古代から七つの丘が存在する。

狼に育てられたロムルスとレムスという双子の伝説が伝えるローマ建国の時代から、この七つの丘をめぐる闘争が民族間で絶えなかった。

七つの丘の中で、最も低いカンピドーリオの丘。古代には神々の像が置かれた聖地とされ、16世紀にミケランジェロの設計による現在の姿になった。広場の中心に建つマルクス・アウレリウスの騎馬像は、ミケランジェロによって設置された(現在はカピトリーノ美術館所蔵)。現代のローマ市役所も、カンピドーリオの丘に建つ。つまり数千年このかた、カンピドーリオは政治的宗教的、そして何よりも心理的にローマの中心であり続けたのである。

このカンピドーリオの丘に、ガチョウのまつわる伝説がある。ローマといえば、カピトリーノの狼を思い起こす人も多いだろう。しかし、「カンピドーリオのガチョウ(Le Oche del Campidoglio)」という言葉は、子供たちの歌のタイトルにもなっている。毎年イタリアで開催される子供たちの歌唱コンクールにも登場して以来、「カンピドーリオのガチョウ」はイタリア人の耳になじんでいる。

 

紋章にも数多く登場する「ガチョウ」

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イタリア各地を巡ると、町や有力貴族の紋章にガチョウが描かれていることがよくある。

オルヴィエートやシエナといった有力なイタリアの都市だけにとどまらない。ドイツオランダの町、マルタ騎士団の総長の個人の紋章にもガチョウを用いられている。なぜ、特に外観が絵になるとも思えないガチョウが、誇らしげに描かれているのか。

これはすべて、「カンピドーリオのガチョウ」にまつわる伝説にポジティブなイメージがあるためである。

 

ローマをガリアの兵から守ったガチョウ

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その伝説は、紀元前390年にさかのぼる。

ローマ人たちはこの年、ブレンヌス率いるガリアに攻められてカンピドーリオの丘に籠城せざるをえなくなった。当時、ローマの有能な軍人として名を馳せていたフリウス・カミルスは、政争に敗れて追放されていた。なすすべのないローマは、滅亡寸前にまで追いつめられる。

当時、カンピドーリオの丘には女神ユノーを祭る寺院があった。寺院の敷地には、ユノーにまつわる聖なる動物「ガチョウ」が放し飼いにされていたという。籠城が長引き、ローマ兵たちは飢えに苦しむことになる。しかし、女神に属するとされていたガチョウを殺して食べる勇気は、ローマ兵にはなかった。

数か月の籠城が過ぎたある夜、カンピドーリオを攻撃しようとするガリア軍の動きを、籠城するローマ軍にけたたましい鳴き声で伝えたのはガチョウたちであったという。攻めようとするガリア軍に、ガチョウが大量の糞をまき散らして混乱に陥らせたという説まである。追放されていたフリウス・カミルスがローマの危機を知ったのも、ガチョウのメッセンジャーであったという言い伝えも残る。

ローマに馳せ戻ったカミルスは、ガリア軍を逆に追い詰める。ガリアの族長ブレンヌスからの、捕虜の身代金要求をきっぱり拒否。これが、その後の400年間、ローマが敵からの身代金要求に応じないという方針を貫く最初の例となったといわれている。

 

ユノーの寺院跡にはローマ最初の造幣所が

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この伝説により、ガチョウは「高貴で勇敢な精神に貫かれた忠実」を示す動物として、騎士や有力な都市の紋章の意匠に用いられることになった。ローマを危機から救ったガチョウ、として有名になったのである。

カピトリーノの丘にあったユノーの寺院は、ラテン語で「aedes Iunonis Monetae」と呼ばれていた。この地に、その後ローマ初の造幣所が建設される。イタリア語で貨幣を「Moneta」と呼ぶのは、ユノーに捧げられたこの寺院の名前に由来する。

また、ローマを危機から救った勇将フリウス・カミルスの名は、現在も地下鉄A線の駅名「フーリオ・カミッロ」となって残っている。ローマの伝説は、残された遺跡だけではなく、生活のあちこちに見ることができるのである。

 

Sachiko Izawa

*Discovery認定コントリビューター

イタリア在住ライター。執筆分野は、アート、歴史、食文化、サイエンスなどなど。装丁が気に入った本は、とりあえず手に入れないと気持ちが落ち着かない書籍マニア。最近のひとめぼれは、『ルーカ・パチョーリの算数ゲーム』。@cucciola1007