神との契約の完了には「お返し」が必須…教会に残る奉納物の意味とは

日本の「奉納」は、神仏に物品や芸能、競技を納めることを意味する。これには、神仏に喜んでもらうという目的があるという。

ところが、日本語で「奉納」と訳されるラテン語の「ex voto」には、人間から神への一方的な思いではなく、神と人間の契約とか約束が完了した証として捧げられるというルールがあった。この習慣を遵守しなければ社会の中で恥ずかしい思いをするほどだったというから、「奉納」というより「お返し」に近い文化であったことがわかる。

 

旧石器時代から存在?神との契約完了報告

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旧石器時代の洞窟に残る動物の絵には、ステンシルのように人間の手のひらが残されていることがある。手のひらを壁に当てて、口から着色のための植物の液などを吹きかけたと考えられている。一説には、この手のひらの絵は、狩猟で獲物を得た証であり神への感謝ともいわれている。

「お返し」の歴史は、古代の人間の社会から存在する、人類学的にみても非常に重要な文化なのである。

フランスの人類学者マルセル・モースは、その著作『贈与論』の中でこう記している。神からであれ人からであれ、「与えられたもの」には受け手が相手に「お返し」をせざるを得ない「力」を持つ、と。

キリスト教の時代には、個人の内なる願いや祈りも、かなえられれば神にお礼をするというルールがあった。この習慣を伝えるのが、各地の古い教会に残る蜜蝋製の「手」や「足」である。日本の絵馬との違いは、西洋では願いや祈りがかなった後にこうした物品を奉納したことである。

どちらかというと、日本の「お礼参り」の意味合いが濃い。

 

人々の必死の祈りを伝える奉納物

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それでは、人々はどんな願いを神に願ったのであろう。

最も多いのは、病気からの平癒である。ペストの流行から生き残ったり、落馬からの怪我から一命をとりとめた人が、病室で聖母マリアやイエスの姿を見て手を合わすシーンの絵が奉納されることが多かった。

また、船乗りたちは航海中に大嵐から生還すると、聖人や聖母子像とともに凪いだ海や船が描かれた絵を教会に奉納した。

こうした絵画は、描かれる人物像と自然の大きさが不自然である。しかし、一目見ればそれを奉納した人の過去と祈りが伝わる構図となっている。高名とはいえない、ありふれた画家たちによるこうした稚拙な絵からは、当時の人々の健気な思いが伝わってくる。

しかし、1400年代になるとこうした奉納物も立派に商いの対象となった。有名な教会や聖堂の近くには、口から血を吐く人、落下する人があらかじめ描かれた絵画が売られていた。病気から快復したお礼参りをする人には前者を、転んだり落下したりしてけがをした人には後者を購入するのだが、状況に応じてその背景に個人の事情を描きいれたという。つまり、屋根から落ちた人の場合は人物の背景に家を、落馬した人の場合は馬を描くといった具合に。

 

富裕層はそれにふさわしい規模の奉納物

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とはいえ、お礼参りをするのは貧しい庶民ばかりではない。

2006年にユネスコの世界遺産に認定されたパドヴァの「スクロヴェーニ礼拝堂」は、一般的には銀行業で財を成したスクロヴェーニ家の当主が、「金貸し」という家業に対して赦しを得るためのものと伝えられている。正確には、この礼拝堂も神へのお礼、Ex votoとして建てられたものである。

1496年、マントヴァの傭兵フランチェスコ・ゴンザーガがフランス軍を相手に勝利した時には、アンドレア・マンテーニャに奉納用の絵画が注文されている。聖母子の傍らに、両手を合わせてひざまずく甲冑姿のフランチェスコが誇らしげに描かれている。

しかし、富裕層の奉納物が物理的にも金銭的にも大きくなる事象を戒める法律も公布された。1401年、フィレンツェでは富裕な商業組合からの奉納物の大きさと金額を抑える法律が公布された記録が残る。

それでも、金や銀で作られた奉納物は引きも切らずにあったようだ。保管に困った教会は、金や銀の奉納物はひそかに売り払っていた。皮肉なことに、高価な奉納物は教会から姿を消し、現在まで残る教会の財産目録に奉献者の思いが残るだけとなっている。

 

Sachiko Izawa

*Discovery認定コントリビューター

イタリア在住ライター。執筆分野は、アート、歴史、食文化、サイエンスなどなど。装丁が気に入った本は、とりあえず手に入れないと気持ちが落ち着かない書籍マニア。最近のひとめぼれは、『ルーカ・パチョーリの算数ゲーム』。@cucciola1007