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作品、鑑賞者、展示の新しいカタチ…VRが変えるアートの世界。

教育、医療遺跡の保全など、様々な分野で新たな可能性を切り開いているVR。だがアートの世界もVRで大きく変わっていくことだろう。

 

VRで変わる鑑賞者への制約

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多くのアート作品は物理的な存在である。キャンバスに描かれた絵画だったり、大理石を掘って作られた彫刻作品だったり、人が体を動かすことで表現されるダンス作品だったり。それらはある意味、物理的な制約から来る時間や場所を限定する性質を持つ。これは従来型のアートにとって大きな問題とも言えるかもしれない。なぜなら、物理的、時間的にアートを展示する場所に行くことが難しい人にとって、アートは文字通り遠い存在となってしまうからだ。

幾らアートに関する教養を無償で学校で提供したところで、美術館もギャラリーもない村に住んでいれば、近隣の大きな街の美術館の入場料が無料であったとしても、そこまで行ってアートを鑑賞するには大きなコストが掛かる。そして、美術館のある街に引っ越しでもしない限りは鑑賞の度に時間と金銭的なコストが掛かってしまう。

だがVRは、鑑賞者をそのような特定性から解放することを可能にする。この意味ではVRを用いたアート表現に先駆けて、デジタルアートという表現方法の一部も可能であったと言えるだろう。しかし鑑賞者がデバイスを通じていつでもどこでも鑑賞可能なデジタルアートと、VRを用いたアート作品とでは違いがある。それは鑑賞者と作品との位置関係だ。

 

作品の中へ

これまでスクリーンを通じて映像表現を伝えるアート作品と、その鑑賞者との関係は、多くの場合スクリーンという「窓」の中と外の関係であったと言えるだろう。もちろんそれ自体が作品のポイントであるものも存在するが、VR技術はこの窓を打ち破り、鑑賞者を作品の中に入れ込む事ができる。

更におもしろいのは、鑑賞者はアート作品の中に存在するにもかかわらず、彫刻のような物理的なアート作品の鑑賞時(例えば美術館で彫刻作品を鑑賞する際など)と同じように、アート作品の中に居ながらも自らの鑑賞視点を持つことが可能であると言う点だ。

例えば、2017年度エミー賞も受賞しているGoogle Spotlight Storiesの『Pearl』という作品では、鑑賞者は親子の関係を一台の車の中から鑑賞する事ができる。視点は車内に一点に固定されており、鑑賞者はそれを移動させることは不可能ではあるが、視点は360度自由に動かすことが可能であり、あくまでもそれぞれの鑑賞者が好きな位置を見ることが出来るという鑑賞の自由度がある。

また、VR作品の中には鑑賞者が作中で自由に動き回れるものもある。このように鑑賞者がアート作品の中で自由に作品を鑑賞するということは、これまでにも規模の大きいアート展示や、鑑賞者参加型の作品では味わえることができたことでもある。しかし先に述べた鑑賞者の時間や場所に対する物理的な制約からの解放と合わせて考えれば、VR技術がアート作品とアート鑑賞の在り方にもたらす新たな次元を感じられることだろう。

 

作品と過ごす無限の時間

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VR技術を活用したアート作品と同じくらい、もしくはそれ以上にVRがアートにとって重要な点がある。それはVRが冒頭のアートのもつ物理性から来る問題を解決できる事でる。

例えば有名な絵画や彫刻などを精密にスキャンして、それをVR内に展示する「VR美術館」であれば、そこではそれらの作品が物理的に展示されている美術館からどれだけ離れた位置に暮らしていても簡単にアクセス可能だし、開催時期を逃すこともない。それに現実世界の長蛇の列に悩まされることも、後から来た鑑賞者にせっつかれることも、また作品に近づきすぎて警備員に叱られることもなく、何時間も間近で好きな作品を鑑賞できることだろう。

例えばフィンランドの国立美術館アテネウムは美術館の一部とそこに展示されている作品をVRを用いた3D-4K映像で鑑賞し、解説を見聞きすることを可能にしているものなどはすでに存在する(固定視点を点々と移動していくというものであり作品にそう近づけるわけではないが…少なくともVRデバイスがなくともブラウザでの鑑賞も可能なものとなっている)。

 

VRの普及とアート教育

アートを万人に楽しんでもらうには、よりVRデバイスが普及する必要もあるだろう。Google Cardboardのようなスマートフォンを組み合わせて使用するVRデバイスは非常に安価だが、映像の滑らかさやVRデバイス着用者の位置トラッキング、VRと連動できるコントローラーなどを備えた本格的なVRデバイスとなると未だに金額的にも高価であり、一般に普及するにはまだ暫く掛かるだろう。

一般消費者には手を出しにくいVRデバイスであっても、教育に使う道具として学校で使用されるようになればよりVRを通じた体験が身近になるかもしれない。例えばモスクワにあるトレチャコフ美術館の館長ゼルフィラ・トレグロヴァ(Zelfira Tregulova)はBBCに、VRを用いることで近隣に美術館のないロシアの地方に住む子供達も、アートの面白さを知ることができる可能性があるだろうと語っている。

美術教育のためだけにクラス分のVRデバイスをそろえるのは予算的に難しいだろうが、VR技術は幅広い教育分野で有用だ。これまで目の前に物理的な教材がない限り、教科書や動画などから2次元的にしか提示することの出来なかった情報を、より立体的、3次元的に理解させることが容易だということがある。これは物の構造を理解するのを容易にできると共に、3Dデジタル化された教材を用いることにより物理的にクラスの人数分教材を購入する必要も無くなるという利点もある(例えば分子構造模型とか解剖用のカエルとか)。

当然ながら、アートであれ教育であれ仮想現実と現実が違うものであるということも忘れるべきではない。しかしVRはこれから先のアートの世界にとって重要な意味を持つ存在であるのは事実であろう。アート作品としての表現方法としてのみならず、アートと鑑賞者の位置づけにおいても新たな次元をもたらし、物理性を超越したアート鑑賞のユビキタス性も与える。そしてVRが他の教科と共に美術教育で用いられることもまたアートにとって重要な意味を持つことであろう。

 

Yu Ando

*Discovery認定コントリビューター

フィンランド在住のライター。執筆分野は、エンタメ、ガジェット、サイエンスから、社会福祉やアートに文化、更にはオカルト系まで幅広い。ライター業の傍らアート活動も行っているほか、フィンランドや日本で両国の文化を紹介する講演を行うことも。
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