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大人の友情の条件は、お互い認め合える「いい人」同士であること

友だちのありがたみが身に沁みる季節がやってくる。

秋の夜長に語り明かせる親友がひとりでもいてくれれば、人生なんだか救われる。きっとこれは有史以来、人間の変わらない心理なのではないだろうか。

ついでに考えてしまう。そもそも友情とはなんだろうか。

 

友情の矛盾する要素

アメリカのミネソタ・ダルース大学で哲学を教えるアレクシス・エルダー(Alexis Elder)助教授によれば、友情には少なくともふたつの要素があるという。

ひとつは、友だちの考え方や価値観が自分と違っていても、その違いを受け入れられること。

もうひとつは、友だちの幸せを願うだけでなく、友だちが望む結果が得られるように自分から積極的に行動すること。この積極性が「知人」と「友人」を区別するところなのかもしれない。

しかし、このふたつの条件が衝突してしまう場合はどうだろう?

たとえば、酔いつぶれた友だちが仕事をズル休みしたいばかりに口裏合わせを要求してきた場合。友だちの気持ちを酌んだ結果、上司に「○○が風邪をひきまして…」とウソをつく羽目になり、モラルハザードが生じてしまう。

いい友だちでいることと、いい人でい続けることが相反する場合、それは果たして友情と言えるのだろうか?

 

アリストテレスによる友情の種類

ここでエルダー助教授は2000年以上も時をさかのぼってアリストテレスの叡智を引用している。

アリストテレスは友情を「実用の友情(friendship of utility)」、「快楽の友情(friendship of pleasure)」と、「善の友情(friendship of virtue)」の3段階に分けて考えた。

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実用の友情は一番浅く、たとえば同じ勤め先で働く者同士や、馴染みの魚屋さんとそのお得意さんに通じる友好的なふれあいを指す。

その次の段階である快楽の友情は、大勢で同じ趣味や娯楽を分かち合う時に感じる喜びから成り立っている。飲み会の「たっのし~い!!」連帯感や、サークル活動で得られる友好的な関係がこれにあたる。実用と快楽、どちらの友情も状況が変われば解消してしまうもろい友情でもある。

アリストテレスが一番理想としたのは善の友情だ。お互いの善いところを認め合い、尊敬し合う友情は、お互いを高め合う友情でもある。完ぺきな人間がいないのと同じく完ぺきな友情もありえないが、お互いの徳が高ければ高いほど友情の質も向上する。

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友だちがもたらす影響

では、そもそも「善い人」とはどんな人なのだろうか。アリストテレスによれば、善い人とは徳が高い人。勇気、正義感、節度…など、人間らしい喜びに満ちた人生を送るために特化したスキルをたくさん持っている人だそうだ。

逆に、「善くない人」とは、人生をよくない方向に持って行ってしまう人。臆病だと自分の大切なものを守り切れないし、貪欲だと他人の反感を買うし、いずれもみじめな人生に自らを陥れてしまう。

一番大事なことは、これらの美徳や欠点は繰り返し行われることで強化される、とアリストテレスが信じていた点だ。人間はいつでも変われるし、それはまわりの人に影響されて訪れる変化でもあるのだ。

 

ほんとうの友だちとは

冒頭のズル休みの例。友だちの悪いこと(ウソついて欠勤)を手助けしたり見逃したりするのは、友だちにとって「善くないこと」なので、本当にその人のためを思うのならやらないほうがいい。かといって、衝突を繰り返していてもいい友情とはいえないし、友だちの意に反して自分がいいと思ったことをするのは温情主義的であまり気持ちのいいものではない。

だとすると、友情とはやはりアリストテレスが考えたように美徳を持った人同士の付き合いがベストだということになる。

目指すは「善の友情」。お互いの善いところを認め合いつつ、影響し合ってさらに自己を磨いていけるベストパートナー。そんな友人とともにこれからの人生を歩んで行けたなら。

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山田ちとら

*Discovery認定コントリビューター

日英バイリンガルライター。主に自然科学系の記事を執筆するかたわら、幅広いテーマの取材とインタビューにも挑戦している。大学時代に断崖絶壁に咲く青いケシの花に憧れてネパールへ留学するも、ケシを見つけられないどころかトレッキング中トラブルばかりに見舞われて結局植物学から文化人類学へ転向。人間と自然の相互作用が研究テーマ。https://chitrayamada.com/

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