Credit : Science Museum Group / Wikimedia Commons

世界初のコンピュータープログラム、英オークションで約1,400万円に…作者のエイダ・ラブレースとは

7月23日、世界初のコンピュータープログラムが記された本がイギリスで競売にかけられ、およそ1,400万円(95,000ポンド)の高値で競り落とされた。

オークションを実施したムーア・アラン&イノセント社のプレスリリースによれば、初版はたった6冊しか印刷されなかった貴重な資料で、そのうちの2冊はすでにハーバード大学が所有している。何名かの匿名バイヤーがエージェントを通じて競り合った結果、予想以上の高額で取引されたそうだ。

「チューリングマシン」などを開発したコンピューター科学者のアラン・チューリングに先駆けることおよそ100年。1843年にこの本を書いたのは、当時28歳だったエイダ・ラブレース伯爵夫人であったといわれている。

しかし本には著者としてエイダの名は印刷されておらず、この本を所有していたとされる人物が表題紙に「ラブレース夫人」と手書きで記しているのみ。また、この本に収めらているコンピュータープログラムがどの程度彼女の創意工夫によるものだったかは長年議論され続けている。

ともあれ、女性の地位が低かったビクトリア朝時代に数学者として幼少から鍛錬したエイダは、元祖コンピューターギークと言えそうだ。

Credit: Press release from Moore Allen & Innocent

 

世界初のコンピュータープログラム

今回競売にかけられた本は『Sketch of the Analytical Engine invented by Charles Babbage Esq.』と題され、イギリスの数学者でエイダとは師弟関係にあったチャールズ・バベッジ氏の講演内容をまとめたフランス語の手記をエイダが英訳したもの。原文となった手記は、のちにイタリアの7代目首相となる数学者ルイジ・メナブレアが書いたものだった。

チャールズ・バベッジはコンピューターの祖先ともいわれる『階差機関(Difference Engine)』と『解析機関(Analytical Engine)』の発明者。PC Watchの水谷哲也氏によれば、「解析機関とはすべての数列が最終的に単純な差で表されることを利用して、複雑な計算をおこなう機械」として考案されたものの、バベッジの存命中にはついに完成されなかった。

解析機関に強い興味を抱いたエイダは、バベッジの勧めでメナブリアの手記を翻訳する作業に取りかかった。その際、バベッジの助言を受けながら膨大な量の注釈や数式を加えていき、翻訳文よりもオリジナルな内容のほうがむしろ多くなったという。

中でも「セクションG」にはベルヌーイ数を求めるための解析機関用のプログラムが記載されており、これが世界初のコンピュータプログラムとしてエイダの死後大きく評価されるようになった。なお、このプログラム自体はバベッジの作であり、エイダはただバグを発見しただけに過ぎないとの意見もあるようだ。

Credit: Author unknown / Wikimedia Commons

 

サラブレッド

これだけ数学に長けていたエイダ・ラブレースとは一体何者だったのか。The New York Timesによれば、彼女の生まれた時の名はオーガスタ・エイダ・バイロン。イギリスのロマン主義を代表する詩人であるバイロン卿の一人娘だった。

詩人の血を引いたエイダは、詩的な感性を科学的探求にブレンドさせ「ポエティカル・サイエンス(poetical science)」と自ら呼んだ数学への独創的なアプローチを極めた。幼い頃から病弱だったこともあり、部屋にこもりがちな毎日を数学の探求心で満たしたのだろう。

とはいえ、エイダが生涯尊敬していた父の元で暮らしたのはたったの1か月。その後の両親の離婚によりエイダと父親との接点は断たれてしまい、エイダが8歳の時にバイロン卿は遠いギリシャの地で亡くなった。

エイダの母親であるアナ・イザベラ・ミルバンク(通称アナベラ)は、女癖が悪く放蕩を繰り返したエイダの父をとことん嫌い、エイダを教育しなければ父親譲りの狂気を発症すると信じていたそうだ。アナベラ自身数学に造詣が深く、娘に幼少から家庭教師をつけて数学を学ばせた。

親譲りの頭脳と感性が実を結び、立派な数学者の素質を現していたエイダ。ところがわずか36歳にして子宮がんを患い、あっけなく他界した。皮肉にも、父親と同じ享年だった。死後はエイダの望んだとおりバイロン卿のとなりに埋葬され、死して親子の再会を果たした。

 

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