【ボーダーを超えていけ】第2回:8000m峰を生き抜く身体-プロ登山家に見る生命進化

8000m峰を登るのは「深い海に潜る」感覚

 
酸素が地上の三分の一しかない8000m峰は、生命感のない「死の地帯」とも呼ばれる。地球上に14座ある8000m峰すべてを登った日本人唯一の14サミッター、プロ登山家の竹内洋岳さんは登山を通し、独特の身体感覚を獲得している。たとえば彼は14座目のダウラギリ登山中の感覚をこう話す。

2012年5月、14座目となるダウラギリ登頂時。標高約6500m付近での竹内洋岳さん。背景にアンナプルナ山群方面。(撮影:中島ケンロウ / Photographer: KENRO NAKAJIMA)

「ファイナルキャンプを出発したのが午前1時半。一人で山頂を目指して歩き始めました。月もなく、ヘッドトーチに照らされているところしか見えない。2~3m先は闇です。重力は感じているものの方向感覚が失われ、山頂に向かうというよりは、素潜りで深い海に向かって潜っていくようでした」

水蒸気が少ないため山で見る星は瞬かない。圧倒的な光量の星空が足元まで広がる宇宙感満載の環境にありながら、深い海に潜る感覚があるとは?「登山のゴールは山頂ではなく、ベースキャンプ。薄い空気の中、息も絶え絶えに山頂まで登りキャンプに戻ってくるのは、素潜りで水深100m近くまで潜って水面に戻ってくるときの感覚に似ているのではないか」

水平線から上へ、或いは下へ。ベクトルは逆方向だが、素潜りでは肺にためた空気を失うまでに水面に戻らないといけない。山登りもキャンプを出発するときの身体のコンティションが10とすれば、減り続けることはあっても増えることは絶対ない。ギリギリのリソースで目的地との間を往復する戦いなのだと。
 

体中の感覚が鋭敏になっていくー潜在能力が引き出される

 
哺乳類が生存できる限界は標高約7000~7500mという説もある。竹内さんは8000m峰14座のうち11座を無酸素で登頂した。山頂に近づくにつれ目はかすみ、耳にはけたたましい心臓音と「はぁはぁ」という呼吸音が聞こえてくる。100mを全力疾走しているような状態だという。数歩歩いては呼吸と心臓が落ち着くのを待ち、時にうつらうつらして再び数歩歩く。1時間経っても100mほどしか進まない。「山頂に近づくほど時間の流れが早く感じます」。

脳の処理スピードは落ちる一方、全身の感覚は鋭敏になっていく。匂いや音、振動に敏感になり、雪崩の気配を察知する。靴裏のアイゼンの刃先を雪に刺したときの雪の感触をも感じる。「指一本一本はもちろん、刃先まで神経が届いている気がする」と竹内さんは言う。「身体が危険な環境に置かれていることを察知して、『これはやばい』と死なないように感覚を研ぎ澄ます。生き延びるための潜在能力が引き出される感じがするのです」

そもそも8000mとはどんな世界なのか。「敵意しかない世界」と竹内さんは言いきり、実際に生死の淵に立つ大事故に遭遇する。

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