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全世界が注視したタイの洞窟救助作戦、その裏にある「他者への共感力」とは

タイ北部の洞窟内で行方不明になっていた少年12人と彼らのサッカーコーチは、7月10日の夜(現地時間)に無事全員救出された。

テレビやインターネットで一部始終を追っていた世界中の人々が、あたかも自分のことように安堵し、喜んだだろう。

Credit: Royal Thai Navy via Facebook

しかしその喜びは長く続かないかもしれない。事態が収束するや否や、テレビやインターネットの画面には次なるクライシスが映し出され、新たに視聴者の関心を惹きつけるからだ。

 

他人に共感する力

メディアの報道を通して、わたしたちはどのようにして見ず知らずの他人に共感を覚えるのだろうか。

Credit: Royal Thai Navy via Facebook

オーストラリア・クイーンズランド大学の道徳心理学者、ダン・クリムストン(Dan Crimston)博士によれば、人間の道徳観は時代とともに進化してきているそうだ。何世代か前には対象外だった人、生物や非生物(もの)も、道徳的な気遣いの適用される範囲内に入ってきているという。

例えば菜食主義の例を取って考えてみよう。動物を愛護し、動物を食するのは不道徳との考えから、肉を避けて植物性の食物だけを口に運ぶ。何千年も前の狩猟社会においては考えられない行為だったはずだ。

また、近年チンパンジーの人権を熱心に訴える人も増えてきている。「自然」という「もの」を保護し、それを汚染することはきれいな空気・きれいな水が持つ権利の侵害だと主張する社会になりつつある。

画面の反対側の他人に共感できる人が増えてきているのは、「道徳の拡張性」が広がっているからだとクリムストン博士は指摘する。道徳の拡張性とは、「自発的に実在する人や動植物を道徳の輪に包括する範囲と程度」(高松礼奈・高井次郎著、『邦訳版Moral Expansiveness Scale (MES)の作成』から抜粋)。

道徳の輪の内側に入った人・動植物やものは、共感すべき存在だ。逆に、外側に追いやられた人・動植物やものは、庇護の対象にはならない。道徳の輪が小さければ小さいほど、排他的だともいえる。

 

共感しやすい要素とは

現代を生きるわたしたちが全く知らない他人へ共感できるのは、テレビやインターネットの報道で拡散されるイメージも大きく影響している。

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タイの洞窟の救出作戦、化学兵器に倒れたシリアの子どもたち、アメリカとメキシコの国境で引き離される移民親子…。ひっきりなしに画面に映し出される画像や映像は、わたしたちの共感したい心を強く惹きつける。

共感しやすい要素としては、まず可視化されていること。地球の裏側の出来事でも一挙一動がファイバーグラスケーブルを伝って、あるいは人工衛星を介して瞬時にお茶の間に届けられる。

次に、災難に見舞われた人々と自分との類似性を見出せること。「もし私だったら…」と自分の身に置き換えても充分あり得るシチュエーションは、共感を引き出しやすい。グローバル化が進むにつれて、生活水準や物流が足並みをそろえてきたからこそだ。

さらに、明確な解決策があり、終わりが見えている事態に関しては共感しやすく、善悪がはっきりしている場合にはなおさらのこと共感しやすくなるという。

 

道徳の輪を広げる

様々な理由により世界中の人が共感を示してニュースを追っても、事態が収束を迎えると急速に忘れ去られてしまうことが多い。

逆に難民問題、環境汚染など、なかなか収束を迎えることがなく、しかも善悪が必ずしもはっきりしない事態は共感しにくいゆえに脚光を浴びることが少ない。

では、見えなければ共感しなくてもいいものか。知らなければ無関心なままでもいいものなのか。

クリムストン博士は、これらとなお一層向き合っていく必要性を訴えている。

 

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