Credit : FrankBothe, CC BY-SA 4.0

奇妙な古代の女子供の遺体…ドイツ版ストーンヘンジでは人身御供が行われていた?

ドイツのストーンヘンジとも言われる「ペンメルテの囲い」(the Pömmelte enclosure)。そこで行われた新たな発掘からは、子供、若者、女性の砕けた骨が見つかった。古代の人身御供の証拠ではないかとされるその遺骨の他にも、傷のない男たちの遺体も埋葬されていたことが判明している。

 

ペンメルテの囲い

Credit: André Spatzier

ドイツの首都ベルリンから南西に136km離れたペンメルテ村の近くにあるこの遺跡。この遺跡が発見されたのはベルリンの壁崩壊から2年後の1991年。飛行機からこの地を見下ろした人たちにより発見されたのだ。しかしその発掘調査は最近になるまで行われてこなかった。

遺跡は紀元前2300年から紀元前2050年ごろまで、新石器時代後期から青銅器時代前期の移行期に儀式のために用いられたとみられる。ストーンヘンジと同じく円を描くようにして作られたこのモニュメントは、木または石で作られた円が同心円状にいくつか存在し、一番外側の大きな円は直径115mあった。

研究者たちは、一番外側の円内部が公共の空間であり、その内側に生け贄の儀式や供え物などを入れる空間、その内側に儀式などを行う人々が活動する一般の立ち入りが規制された空間、中央には儀式の「主役」たちのための中央ステージがあったのではないかと考えている。

 

生け贄となった人々

Credit: André Spatzier

この遺跡には地面に29のシャフト状の穴が開けられており、中には割れた頭蓋骨や肋骨、石斧、飲料用容器、動物の骨、手引き臼などが入れられていた。研究者たちはこれが「ペンメルテの囲い」を理解する上で鍵となる要素だとみている。

この中に入っている遺骨は、どれも子供、若者、女性のものであり、ここへ投げ込まれたか突き落とされたかしたようである。少なくとも一人の十代の遺体は手が縛られた状態であった。

 

埋葬された男たち

この遺跡の輪状に配された溝部分には17歳から30歳までの、計13人の男性が埋葬されていることも判明している。埋葬期間はモニュメントが建っていた時代だけでなく、紀元前2050年頃にモニュメントが破壊されるよりも後の紀元前1900年ごろまでとされる。新石器時代後期にこのような輪状の溝に埋葬されるのは高い地位にあった人物だとされており、ここに埋葬された男たちもまたそうだったのではないかとみられている。

埋葬されていた男性の体には、生け贄として捧げられたと思しき人々とは違い怪我をした痕跡はなかったが、関節は離断されていた。そのため、これらの遺体は一度どこかで埋葬された後に再度ここへと埋葬されたと考えられる。またこれらには埋葬品の類いもなかった。

男たちの埋葬位置は遺跡の東側であり、共同研究者である考古学者フランソワ・バーテマス(François Bertemes)は、死と太陽のつながりは、生まれ変わりや死後の世界といったシンボルを反映したものだろうとLiveScienceに語っている。

 

破壊されたペンメルテの囲い

Credit: André Spatzier

この時代には太陽は重要な要素と考えられており、この遺跡の4つの入り口は、農業にとっては重要な時期である至点(夏至、冬至)、分点(春分、秋分)のちょうど間の時期に日の出日の入りが見えるように配されていた。

だがこの遺跡は紀元前2050年ごろに破壊された。輪を描くように配されていたモニュメントの支柱が引き抜かれ、その跡にできた穴に捧げ物を入れ込まれ、丸太部分は焼かれ、その灰で穴が埋められた。土手や溝の作られた部分や、生け贄の入れられた穴もまた平らにされ、穴は平らにされたのだ(トップ画像はペンメルテの囲いを復元したもの)。それでも、遺跡が破壊された後になってもこの場所に男性が埋葬されているのは興味深い。

今回の研究結果はAntiquityジャーナルで6月27日に発表された。研究者たちはこの場所が共同社会においても重要な役割を持った場所だったとみているが、今後ポンメルテの囲いで行われた儀式に関する謎をより深く理解する発見はでてくるだろうか?

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