アメリカでインフラ整備のために鋼鉄の需要が高まりつつあった1860~70年代。
時代の流れをいち早く感じ取ったアンドリュー・カーネギーは、高価な鋼鉄を大量生産する「ベッセマー法」に注目し、初めてその手法を全面的に採用した製鋼所を造った。
ビジネスは大成功し、収益は年間で数千万ドルにも上った。しかし、高額な売上を生んだ背景に重労働を強いられた人々の苦労があった。事態はエスカレートし、労働者から多くの死傷者を出す争いを巻き起こした。
こうした事件との関わりで批判される一方、晩年は慈善活動を積極的に行った人物としても知られている。
“鋼の時代”をリードした男、アンドリュー・カーネギー。様々な問題と批判に直面しても、彼はアメリカ史に残るビジネスマンとなった。