【ボーダーを超えていけ】第1回:ボルトより速く! 義足アスリートが「世界最速」になる瞬間を自分たちの手で

足を切断した後輩がふつうに歩けるように

博士課程取得を目前に中退、渡米

子供の頃から物づくりが好きだった遠藤さんは、慶應大・大学院で歩行ロボットを研究。政府予算による大規模プロジェクトに参加するなど最先端の研究に没頭していたある時、高校時代のバスケ部の後輩が骨肉腫を発症したことを知る。膝に人工関節を取り付けたが、その後転移により足を切断、一時は余命半年と宣告された。

「当時、僕はロボットの歩行を研究し、論文には将来はリハビリや義足に使えると書いていた。でも生きるか死ぬかという状況にある後輩を前に、自分の『軽さ』を思い知らされたんです。歩行ロボット技術を活用して義足を実現するためにどうしたらいいか、本気で考えていなかった。当事者意識に欠けていたのだと」。

遠藤さんは「後輩がふつうに歩けるものを短期間で開発したい」と世界中の技術を探し始めた。そしてMITのヒュー・ハー教授がロボット義足を研究していることを知る。ハー教授の元で学びたい、と遠藤さんは留学を決意し出願。慶應大で博士号取得目前に中退し2005年、MITで博士候補生として研究を始める。

義足って面白いー研究室で見た「未来」

MITで遠藤さんは「障害への考え方が180度変わった」という。「渡米前は、障碍者になった後輩を『助けてあげたい』と思っていた。でも留学したら『義足って面白い』というわくわく感を感じたのです」

新豊洲Brilliaランニングスタジアムにある「ギソクの図書館」でXiborgの義足を手に。

ヒュー・ハー教授は17歳の時に凍傷で両足のひざ下を切断した、義足ユーザーだった。天才ロッククライマーとして知られていたが切断後、ロッククライミングはできないと医師に告げられる。しかし、ハー青年は諦めなかった。「自分で義足を作り競技に復帰しただけでなく、足がある時は登れなかった崖を登れるようになったんです。つまり、足がないことのデメリットをメリットに変えた。しかもトップアスリートレベルで。技術的にも社会的にも不可能と思われたことを可能にして見せたのが彼の凄さです」

そんなハー教授の元には多くの障碍者が集まっていた。「障碍者と一口に言っても凄く広い。足がないぐらいで誰も気を使わなかった」。むしろ足がない人に対して「この余白に何を作ろうか」と考える。義足に面白さを感じるなんて、不謹慎だと渡米前は考えていたのに・・。今でこそ多様性という言葉が頻繁に使われるが、2005年時点で自ら障碍者だったハー先生率いる研究室は「未来だった」と遠藤さんはふり返る。

2014年のTEDスピーチ後、遠藤さんが義足開発の道に入るきっかけを与えたバスケ部の後輩、吉川和博さん(右)と漫画「SLAM DUNK(スラムダンク)」のポーズ。

ヒュー・ハー教授の持論は「人間に障害はない。テクノロジーに障害があるだけだ」。それならテクノロジーの障害を取り除こうと、遠藤さんは義足開発に邁進する。そして、一人の義足アスリートとの出会いが、遠藤さんを新たな方向に導いていく。

 

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