【追跡!日本の妖怪】妖怪ツチノコを追う 其の二「探索編」

日本一有名な未確認生物(UMA)であり、一般的には幻の蛇と考えられているツチノコは、元々は河童や天狗と同じような「妖怪」だった。

奈良時代に書かれた『古事記』や『日本書紀』、中世から近世にかけて記された『和漢三才図会』、江戸時代の記録をまとめ明治初期に出版された『信濃奇勝録』などにも、ツチノコを思わせる奇妙な「野槌」という生物が紹介されていた。

UMA研究家として活動している筆者は、実在する妖怪ツチノコを発見、捕獲するために探検に向かうことにした。

向かう先は――岐阜県中津川市馬籠から長野県木曽郡南木曽町妻籠の中間にある一石栃付近(旧中山道)。

ここは、ツチノコの記録としては最も古いものの1つである『信濃奇勝録』の中で、ツチノコ(野槌)が目撃されたと伝えられている場所なのだ!

古き日本が残る町

中津川市を訪ねるのは初めてだったが、車中から外の風景を眺めつつ、私はデジャブのようなものを感じた。

外に見える風景を、私は何度か目にしたような気がするのだ。不思議な感覚を抱きつつも、車を停めたのは、あの文豪、島崎藤村の生家跡の近くである。

周囲は島崎藤村の小説の世界そのままのような懐かしい景色が広がっていた。妖怪を捜しにやってきた人間にとっては、水木しげるの漫画の舞台のようにも見えてくる。

行き交う人の姿は割と多いが、どうも、地元の人では無いらしい。海外から来た人たちが夢中になって写真を撮っている。

古き日本の風景を残したこの場所は、海外からの旅行者が集う観光スポットとなっていたのだ。

私も小説家としての顔も持つ身なので、他の観光客と共に島崎藤村先生の生家を見学に行きたい衝動にも駆られたが、本日の目的はツチノコである。旧中山道へと足を踏み入れ、山の奥へと進んで行く。

春にでもなればまた違うのだろうが、調査に向かった日(2018年2月10日)は、まだ雪も多く積もった状態であったことも大きいのだろう、山道では、観光客の姿もあまり見かけない。

中山道へ

雪の山道を進むのはなかなかハードだったが、ツチノコ発見のためだ。頑張るしかない。

江戸時代の中山道は今以上に道も整備されていなかったのだろうから、この何倍も大変だったのだろうと思いながら、山道を進み、岐阜と長野の県境を通過する。

そのまま、人の姿もほとんど目にしない道を進んでいくと、やがて古い建物が見えてきた。その周囲には観光客らしき人たちの姿も。

近付いてみると、どうやら、その建物は、無料の休憩所となっているらしい。ずっと歩き通しだった私は、これ幸いと中へと入らせてもらう。

休憩所の中に入ると、外から見た印象以上に、時代を感じさせる光景が飛び込んでくる。管理人の男性が快く出迎えてくれて、お茶も出してくれたので詳しく話を聞いてみたところ、この建物は江戸中期に建てられたものを、そのまま使っているらしい。

管理人をされているのは松下東洋一(とよかず)さん。10年ほど前から、ボランティアで休憩所の管理人をしているのだそうだ。

早速、松下さんに野槌のことを伺おうと『信濃奇勝録』のコピーをお見せすると、

「あぁ、ツチノコだな」との言葉が。

これは、『信濃奇勝録』のこともよく知っているのではないかと期待に胸膨らんだが、詳しいことは分からないそうだ。

その代わり、「妻籠宿の観光案内所にいる小林さんなら、よく知っているんじゃないか」という貴重な情報をいただく。

松下さんにお礼を伝え、休憩所を出ると、シンガポールの学校から修学旅行で来ていたという若者たちに出会った。

まだ登山のシーズンでは無いということもあるのだろうが、中山道で目にした観光客はその大半が海外から来られた人たちであった。

かつての日本がそのまま残っているようなこの場所が海外から人気を集めるのは理解できたが、私もツチノコのことは置いておいても、日本人として心の原風景のようなこの場所を好きになってきたのを感じた。

野槌の目撃場所、一石栃

そして、私はついに『信濃奇勝録』で野槌が目撃されたと記録されている場所まで辿り着いた。

4キロほどの移動であったが、雪の山道での移動ということもあり、想像以上に大変ではあった。

残念ながら、周囲を見渡してもツチノコのような生物の姿は無かったが、かつて、この地でツチノコを目撃した人がいるのだと思うだけで、感慨深い気持ちになる。

出来れば、もう少し、この場でツチノコの捜索を続けたかったが、先ほど、松下さんからいただいた貴重な情報もあるので、妻籠宿の観光案内所にまで行き、『信濃奇勝録』について詳しい話を聞きに行くことにする。

目撃者を知る人

中山道の妻籠宿は、「売らない・貸さない・壊さない」という住民憲章をつくり、江戸時代の町並みを現在にまで伝えている。

まるでタイムスリップしたような気持ちを味わいながら、観光案内所へ向かう。

小林俊彦さんは「公益財団法人妻籠を愛する会」の理事長であり、89歳の高齢であったが、『信濃奇勝録』について尋ねると、まったく年齢を感じさせないしっかりとした口調で、野槌について語ってくれた。

小林さんによると、昭和27年頃に地元の老人たちから「若い頃に、ツチを目撃したことがある」「ツチは、斜面をごろごろと転がって移動していた」という話を聞いたことがあるらしい。(老人たちはツチノコらしき生物を「ツチ(槌)」と呼んでいたそうだ)

昭和27年の時点の老人たちの目撃談なので実際に目撃されたのは明治の話だろうか。それでも『信濃奇勝録』に書かれた記録と比べれば、ぐっと新しい目撃談ではある。

私は念のため、小林さん自身もツチノコを目撃したことがあるかどうかをたずねてみたが、自分を含め、周りでもその後は目撃談を聞いたことは無かったという。

私は『信濃奇勝録』の記録よりも新しいツチノコの目撃情報を詳しく聞き、その場所へ調査に行きたいと思った。

小林さんはご自身で執筆されたというこの周辺の地名についてまとめた資料『地名が語る妻籠村』を広げ、丁寧にツチノコが目撃されたという場所を教えてくれた。

古い地名は、グーグルマップなどの地図アプリにもデータが無い。小林さんからいただいた貴重な資料を片手に、周辺の住民からも何度も道を訪ねながら、ツチノコの目撃スポットを目指した。

住民の人たちに「ツチノコを捜しに来たんです」と言うと、皆さん笑っていたが、馬鹿にするような感じは一切ない。

というのも、岐阜県では「ツチノコの目撃が多い」ということで、ツチノコを使った町興しを実施している東白川村があることも大きかった。

この辺りの人たちは皆、40キロほど離れた村で、ツチノコが騒ぎになっていたことを知っているのだった。

だが、東白川村のツチノコ騒ぎは知っていても、自分たちの暮らす場所で、ツチノコが目撃され、記録にも残されていることは知らないようである。

やがて、小林さんから教えてもらったツチノコ目撃スポットへと到着する。

この辺りを、ツチノコがごろごろと転がって移動しているのを、目撃した人が確かにいたのだ。

私が中津川市へとやって来た時、デジャブを感じたのは、この風景はどこか東白川村のツチノコ目撃スポットにも似たような雰囲気があったからであった。

ツチノコという生物が生活しやすい環境とは、きっとこういう場所なのだ。

私も含め、UMAに興味を持つ多くの人は、ツチノコを捜しに岐阜まで来たら、東白川村のほうへと行ってしまう場合が多い。

だが、貴重な目撃情報がありながら、本格的な調査がなされていないこの場所のことは、もっともっと注目してしかるべきだろう。

ツチノコが「幻の蛇」であるなら、まだ冬眠している可能性も高い。春になったら、またこの場所にやって来ようと、私は心に誓った。

そして、春を待つ前に、ある専門家の元に話を伺うこととなった。

ツチノコの正体が蛇なのだとしたら、爬虫類の専門家に話を聞いてみるべきなのではないかと考えたからだ。そこで私は、爬虫類のスペシャリストから、ツチノコについて衝撃の情報を聞かされることとなる!!

次回、衝撃の事実が判明!

【著者プロフィール】中沢健(なかざわたけし)

作家・脚本家、そして、UMA研究家としての顔も持つ。作家デビュー作「初恋芸人」は、2016年にNHK BSプレミアムで連続ドラマ化された。その他の著作に「キモイマン」「平成特撮世代」など。UMA研究家として「緊急検証!シリーズ」「ビートたけしの超常現象(秘)Xファイル」などの番組に出演中。

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