Credit : Yohta Kataoka

【野良山伏 連載】第13回 山伏と新年と芸

坂本大三郎です。山形の出羽三山を拠点にしている山伏です。でも生まれも育ちも千葉県で、とくに先祖が山伏であったというわけではありません。そのあたりの詳しいことはおいおい触れさせていただきたいと思っていますが、僕が山形で暮らすようになったのは、山形に残っている山伏の文化や狩猟採集文化など、自然の中で生きる知恵や技術を学びたいと思ったからでした。山伏になっておよそ10年。この連載では、そんな山暮らしで得た知恵や技術のいくつかを紹介して行こうと思います。

「山伏って冬は何をしているんですか?」とよく聞かれます。一年の間に何回も尋ねられるこの質問は、なかなか答えるのが難しく、答えたところで、尋ねた本人がいまいちピンとこないことも多く、正直「うっ、またその質問か……」と思ってしまいます。

しかし、そこには山で修行しているとばかり思われがちな山伏が、いかに日本文化と関わりを持ってきたかという側面にも触れる「大切な問題」を孕んでいて、それが僕が山伏に関心を持った理由のひとつでもありました。

「山伏が冬になにをしているのか」を述べる前に、明治以前と今の山伏のあり方の違いをわかってもらわなければ、話に「ピンときて」もらえないと思います。

古くから民間信仰の担い手だった山伏は、明治時代になると、天皇を神に祀り上げ国を治めようとした一部の神道家の働きかけによって「修験宗廃止令」※1「神仏判然令」※2が出され、禁止されてしまいました。

山伏の文化は土着的なアニミズムを土台にして神や仏や精霊を共に祀っており、キリスト教をもとにした西洋の社会構造を参考にした明治以降の宗教政策にとっては、そこかしこに神仏や精霊が宿るという考えは邪魔になったというわけです。

各集落に一人はいたと言われる山伏は、神社を管理する神主に姿を変えたり、僧侶になったり、その他諸々の民になったりして、一般の人たちからは縁遠い存在になってしまったのでした。

また「神社合祀令」※3では、大木や巨岩などに祀られていた名もなき神や精霊の祠の多くは排除されもしました。これら明治の宗教政策によって、民間信仰のあり方や伝統的な習俗が大きな打撃を受け、変貌してしまったのです。

そういった背景により、現在の山伏の多く(寺の運営に携わる山伏を除く)は、社会との繋がりが断ち切られてしまったので、「冬にやること」がなくなってしまいました。

しかし僕が暮らしている山形の山伏は、年末年始にかけて家や企業に、お札を配って回って寄進を募る「勧進」や、出羽三山信仰を持つ地域で、新年のご祈祷をして廻る風習が残っており、古い山伏のおもかげを見ることができます。

ちなみに現在では年始に初詣に行く人が多いと思いますが、初詣の文化は明治時代に鉄道が発達してから生まれた文化で、それ以前は新年を迎えてから山伏が持ってきてくれる、寺社仏閣のお札が今よりありがたみがあったのだと思います。

山伏のことを古くは「ヒジリ」と言いました。「聖」という文字を思い浮かべる人が多いと思いますが、本来は天体の運行をあらわす「日」を知っているという意味で「日知り」でした。

ヒジリは高野山や比叡山などの大きな寺社などに集まり、勝手に住み着いてしまう、正式な僧侶とは異なる存在です。

そのため、僧侶からは卑しい目で見られ、馬鹿にされていましたが、寺社運営には莫大な費用がかかるため、ヒジリが村々を廻り、寄進を集める活動である「勧進」をして、その費用をまかなっていました。伊勢神宮といった有名な施設も、かつて荒廃した時期に、ヒジリの勧進によって持ち直した聖地です。

はじめは神仏のご利益を説いていたヒジリたちですが、人々の気を惹くために話を膨らませ、面白おかしくしていった結果、そこから『小栗判官』『かるかや』『しんとく丸』『信太妻』などを語る説経節という芸能が生まれました。

『平家物語』を語る琵琶法師もヒジリの一種で、彼らヒジリの芸能が「浄瑠璃」や「歌舞伎」へと発展していきました。それらの芸能の中では戦いのシーンである「殺し場」や、恋愛のシーンである「濡れ場」が好まれましたが、現在の映画やサブカルチャーの中にも言葉や感性が残されています。

また山伏・ヒジリが関わった芸能としては「神楽」が挙げられます。神楽と言うと、神社で綺麗な衣装をつけた巫女さんが舞う「浦安の舞」をイメージする人が多いと思いますが、これは昭和15年に作られたもので、日本各地でおこなわれている古い由来のある神楽のほとんどは、山伏・ヒジリが持ち伝え、伝承されて来たものでした。

Credit: Yohta Kataoka – 神楽とも関係の深い獅子舞

このように山伏・ヒジリは古くから日本文化と関わりを持ち、僕もとても関心があるところなのですが、「日本古来から伝えられてきたと考えられているけど、本当はそれほど古くないもの」たちが、山伏を含む日本文化の説明を難しいものにしてしまっています。そのため冒頭の「ピンとこない」状態になってしまうことが多いのだと僕は感じています。

ということで「山伏は冬に何をしているのか」について、かつては聖地のお札を配ったりして勧進などをしていたけれど、現在はその役割は失われつつある、というお話でした。

ちなみに僕自身のことで言えば、冬は祭りや芸能が多くおこなわれているので、日本各地を取材で訪れて廻っており、けっこう忙しい時期です。 

※1修験宗廃止令…明治5年に布告。神道国教化政策により、修験宗各派が解体され、修験者(山伏)は天台宗、真言宗の僧侶になるように促された。

※2神仏判然令…江戸時代から続いてきた神仏習合を改める明治政府の政策。以降、神道を重視し仏教を排除しようとする廃仏毀釈運動が起った。

※3神社合祀令…神社は宗教ではなく「国家の宗祀」。ゆえに国家が管理し、その運営には公費(税金)を充てるべきという思想のもと、明治39年に出された勅令。神社の数を財源に見合うように合祀して整理することが目的。

Illustration: Daizaburo Sakamoto

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【プロフィール】坂本大三郎(さかもとだいざぶろう) 1975年生まれ、千葉県出身。東京でイラストレーターとして活動後、30歳で山伏の文化に飛び込む。東北の出羽三山の山奥で暮らしながら、美術作品の製作、古来の文化や芸能の研究・実践をおこなっている。著作に「山伏と僕」(リトルモア)、「山伏ノート」(技術評論社)がある。

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