Credit : Hiroki Terabayashi

【黒田有彩のSPACE DISCOVERY】 宇宙飛行士選抜試験のファイナリスト、江澤佐知子-前編-

黒田有彩です。宇宙の魅力を発信するタレントとして活動しています。前回2008年の宇宙飛行士選抜試験で、最終選考まで残った候補者10名のうちの一人、江澤佐知子さん。女性ではたった一人だけ最終まで進まれました。「お医者さんで、2児の母で、会社も経営していて、最終選考10名に残った凄い女性がいるんですよ!」と江澤さんを紹介してくれたのは、このシリーズの前回に登場していただいた宇宙エヴァンジェリストの青木英剛さん。江澤さんとはいったいどんな方なんでしょうか?人生二周目なのでは?と疑うほど濃密なその人生、そして太陽のように明るいお人柄に迫りました。

Hiroki Terabayashi

毛利さんの歯磨きを見て、宇宙を身近に感じるようになりました

江澤:昔、「なるほど!ザ・ワールド」という番組があって大好きだったんです。当時の日本って、アメリカはともかく、ブータンなどあまり知られていない国に行くこと自体が珍しくて。いつか「なるほど!ザ・ワールド」のレポーターになって、知らない国の人や文化に触れ合いたいと思っていました。この世界はひとつで、国もそのひとつに過ぎなくて。その延長になんとなく宇宙を捉えていたんです。

私にはひとつ上の兄がいて、星新一さんの小説が大好きだったんです。その本の表紙は宇宙船や宇宙飛行士だったりするんですが、カバーを見たりすると、胸がキュンとするものがありました。宇宙への漠然とした憧れはあったのですが、でもなんとなく恥ずかしくて言えなかったんですよね。

それからもう少し大きくなって、毛利さんがディスカバリーで宇宙に行かれた時に、毛利さんが船内で浮きながら歯磨きをしているのを見たんです。無重力という「夢」と歯磨きという「現実的な行為」を一緒にしていることに惹かれ、宇宙をとても身近に感じるようになりました。

—毛利さんが宇宙に行かれたのは1992年のこと。当時4、5歳だった私の脳裏にも、当時の毛利さんの眩しい笑顔が焼き付いています。それが多感な時期だったら、とてつもない衝撃ですよね。江澤さんは少女時代、たくさんのものに興味があって、その中のひとつが宇宙でした。いろいろな進路の可能性が広がる中、医師を目指されます。

Hiroki Terabayashi

医師として一ヶ月に20日以上の当直で、辛くて辞めたくなることも

江澤:私は科学者や生物学者やお医者さんなど、様々な職業に憧れを抱きました。するとうちの両親から、「まず医師になって、頑張れるようなら他のこともしなさい。手塚治虫さんみたいに」とアドバイスされたこともあり、まず医師を目指したのです。

宇宙飛行士は、まず社会経験として自分自身のプロフェッショナルをトレーニングして自身を成長させなければ、次のステップに進めないのです。なので医師になってからは、与えられた仕事をとにかく一所懸命しようと思いました。そして博士号を取得した時点で、ようやくほかの候補者の皆さんと同じスタート地点に立てるのだと思っていました。

医師として、1ヶ月に20日以上の当直をしていた時期は、辛くて辞めたくなることもありましたが、その辛さが「ガマンの限界」なのか、「自分のワガママ」なのかわからないうちは、とにかく続けようと思っていました。

—忙しい日々の中でも、頭の余白では宇宙への想いを持ち続け、そこに近づく可能性を狭めないように選択し行動する。客観的に、冷静に、そして何といっても情熱的に未来を見据えなければできないことですよね。そんな江澤さんに偶然なのか必然なのか、素敵すぎる出逢いがありました。

タイミングよく宇宙飛行士の募集がスタート

江澤:大学病院勤務の頃、病理のアドバイスをいただく先生がいらしたんです。その先生が女性宇宙飛行士、向井千秋さんのご主人の向井万起男先生でした。向井先生が顕微鏡を覗きながら、「妻が宇宙から帰ってきてから、ペンを落として地上の重力を楽しんでいる」というお話をしてくださったんです。その時にビビビッときたのです。現実として宇宙は身近にあって、自分も目指せるかもしれない。目指しても良いものなんだ、目指したい! と強く感じたんです!! 

臨床、研究に没頭し、2008年に博士論文が受理され、そのタイミングで新聞で宇宙飛行士の募集を見た私は、迷わず応募しました。

—ここで2008年の宇宙飛行士選抜試験、最終選考までの道のりをざっとご紹介します。

【書類審査】 書類の提出後、英語の試験。(約960名の応募)

【第一次選抜】合格者(約230名)が参加する1泊2日の学科試験(理科4科目、数学、一般教養)と健康診断、心理テストなど。

【第二次選抜】 第一次選抜の合格者(約50名)による集団面接、運動能力テスト。より精密な健康診断、専門試験などの試験。

【最終選抜】 第二次選抜の合格者(10名)が参加するJAXA・筑波宇宙センターと、ヒューストンのNASAでの選抜。2008年のときは、最後選ばれたのが3名だったので、およそ320倍の倍率です。

Hiroki Terabayashi

最終選抜で学んだものは「競争」ではなく、「協調」

江澤:最終選抜は男性9名と女性1名で、閉鎖空間での試験から始まりました。マンガ「宇宙兄弟」でもお馴染みですね。何日間もチームメイトと共にすごし、食事も外から配給されるもののみ。課題の司令も電話連絡で、外部の方と直接お会いすることはありませんでした。ディベートも沢山しましたね。例えば、「契約社員のメリットとデメリット」について議論した覚えがあります。新しいボードゲームを作るという課題もありました。

印象的だったのは、最終選抜に残った10名には、ABCD…というアルファベット記号が割ふられていて、私はCでした。といってもAさんBさん…と呼び合うのは試験のときだけで、親しい仲間内では、みんなニックネームで呼び合っていました。私はGocci(ゴッチ)と呼ばれていました。

閉鎖空間では娯楽として?(笑)、みんなで似顔絵を書きあっていたんです。(この似顔絵は、のちに互いにプレゼントしあい、大切な想い出となっています)

海上保安庁の方の似顔絵には制服を描いてみたり、ご飯の心配をしている人にはご飯を描いたりしていました (笑) 。

選抜試験の約一年間の中で、最終選考は特に思い出深いものです。10名の団結力は人生で体験したことのないくらい、固い固いものでした。各々の役割を認識、配慮しあって、みんな同じ方向を向いきつつ協力する。課題解決までのスピードがすこぶる速い最強のチームでした。もちろん試験ではあるものの、そこで学んだのは「大切なものは競争でなく協調」ということでした。

—仲がよく、かつ互いをリスペクトしている10人のチームメイト。そのチームの中で、江澤さんはどんなキャラクターだったんでしょうか?

江澤:試験の時に幾度もみんなが言ってくれたのが、日本人の枠に留まらず、コミュニケーション能力に優れていて、いろんな人といつでも溶け込めるよね、ということでした。昔からいろいろなものに興味を持ち、バックパッカーとして各国を旅した中で培われたのかもしれません。

そして筑波で実施された試験のあとに、アメリカ・ヒューストンのNASAへ参加することになるのです。

—人生がかかった宇宙飛行士試験、最終選考。想像すると胃がキリキリしそうなものですが、江澤さんの言葉からは、いい緊張感の中でとても充実した時間だったのだということが伝わってきました。さあ、NASAではどのような体験が待っているのでしょうか。後編をお楽しみに。

今回のDISCOVERYは、『ガマンの限界なのかワガママなのか分からないうちはとにかく続ける』。

目の前のことをきちんとこなすこと。それを続けること。それがいつかきっと、大きな財産となって自分に返って来るんですね。私も頑張りたいと思います。

【プロフィール】

江澤佐知子(えざわさちこ)産婦人科医(医学博士) / 社会企業家 / 法学博士課程在籍

東京都大島町出身。夫はスコットランド人、双子男児の母。尊敬する父と同じ産婦人科医となり、その後海外にも活躍の場を広げ、2005年、スウェーデン王室よりアマランタ賞受勲。2008年、医学博士取得後、今までできなかった大好きなことを全部しようと決意、船舶免許、パイロット免許を取得し、その夢はとどまるところを知らず、2009年、NASA/JAXA宇宙飛行士選抜女性唯一のファイナリストとなる。2010年、成し遂げる女性の象徴ヴーヴ・クリコウーマン受賞。女性医師による社会貢献NPO医療情報広報局を設立。2012年、早稲田大学法学部に再入学し医学博士取得の研究テーマを法律学の視点から研究をはじめる。双子出産を経て、現在、臨床医を主軸に、産業医、企業顧問、NPO活動、講演活動など幅広く活躍し、法学博士課程で研究を続けている

黒田有彩(くろだありさ)

中学時代にNASA訪問したことをきっかけに宇宙に魅せられる。大学では物理学を専攻。タレントとして宇宙の魅力を発信しながらJAXA宇宙飛行士の受験を目指す。2016年、株式会社アンタレスを設立。2017年4月より文部科学省国立研究開発法人審議会臨時委員に就任。放送大学『初歩からの宇宙の科学』『化学反応論』/FMヨコハマ『Tresen』木曜DJ / 誠文堂新光社『天文ガイド』連載/集英社インターナショナル『宇宙女子』ほか。

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