「学べば学ぶほど自分がどれだけ無知であるか思い知らされる」と言ったのはアインシュタインだが、科学的研究が次々と新しい見地を開拓し続ける現代においてもなお、世界はわからないことだらけだ。わかっていると思ったことでさえ、新しい発見によって一晩のうちに覆されることもある。
人類の歴史もその一例だ。オーストラリアには1788年にヨーロッパからやってきた白人が住みつく前から、「アボリジニ」と総称される先住民族が乾燥した大地に適応して暮らしていた。当時オーストラリアは現生人類が到達した最後の大陸だと言われていて、アボリジニの歴史も比較的新しいものでヨーロッパ移民よりせいぜい数千年さかのぼるぐらいだろうと考えられていた。
ところが、1962年に発案された「放射性炭素年代測定」によって、その世界観は大きく覆された。放射性炭素年代測定技術を使ってオーストラリアのKenniff洞窟内を調べたところ、なんと氷河期時代にはすでに人の祖先が暮らしていたことがわかったのだ。1万9000年前という途方もない昔まで有人史が引き伸ばされ、ここにオーストラリアの「時間革命」が始まった。
その後も「時間革命」は続き、1974年にはMungo湖畔の遺跡から約4万年前に生きた人類の化石、通称「ムンゴマン」が発見され更に歴史を過去へと引き伸ばした。そして今年7月、「Optically Stimulated Luminescence(光刺激ルミネセンス)」と呼ばれる最新計測技術を使ってMadjedbebe岩窟住居内を調べていた研究者たちが、オーストラリアには少なくとも6万5000年前から人類が生活していたと結論づけた。
ちなみに、日本では沖縄県で見つかった1万8000年前の人骨が一番古いとされている。現生人類が10万年前にアフリカを旅立ち、中東を経由して6万年ほど前にアジアに到達したとしたら、そこから黒潮に乗って人類の祖先がオーストラリアにやってきたと考えてほぼ間違いないだろう。
オーストラリアにおける人類の歴史が大幅に伸びたことにより、少なくとも何億年もの間生きてきた先住民であるアボリジニと、たかだか200年の歴史しかもたない白色人種との間で、相互の歴史を多面的に理解する試みがすでに始まっているそうだ。
オーストラリア大陸にはかつて数百もの小国が存在し、200の言語グループに分かれた文化的に多彩な人々が暮らしていたという。その人たちを「アボリジニ」と一括りにしてしまうと、個々の文化の特異性や歴史が失われる危険がある。
これからも、科学の力が「無知」を「知」に変えてくれるたびに、学問や文化の領域を超えて、相互理解を深める機会がおとずれるだろう。科学と歴史は、まるで終わらない旅のようだ。そしてどんな旅に出ようとも、そこには必ず新しいディスカバリーが待っていると思うとワクワクする。
Friday essay: when did Australia’s human history begin? (The Conversation)