ボディーサットバ、菩薩となった男。佐々井秀嶺 -前編-

仏教発祥の地インドで「菩薩」と呼ばれる男がいる。佐々井秀嶺(ささいしゅうれい)82歳。25歳の時、東京の高尾山薬王院で出家し、31歳でインドに渡った。以来半世紀に渡り、インドで仏教の布教に尽くし続けてきた日本人僧侶だ。何千人といるインドの僧侶の中で、「ボディーサットバ(菩薩)」という称号を与えられた僧侶は佐々井秀嶺ただ一人だ。

「私は自分自身が菩薩だなんて言ったことも、ましてや思ったことなども一度もない。私の50年間の実直な活動を認めてくれたインド人達がそう呼んでくださるのです。」

改宗式の記念式典で「ジャイビーム(アンベードカル万歳!)」と叫ぶ佐々井師 – Credit: Mitabi Kobayashi
 

インド仏教の総本山 ナグプール

佐々井秀嶺が本拠としている場所は、インド、マハーラーシュトラ州のナグプールにある。この州の中では、州都ムンバイに次ぐ第二の都市だ。佐々井はこのナグプールで仏教徒のために尽くしてきた。

2017年9月29日、ナグプールで毎年行われるインド仏教最大の祭典、「改宗記念式典」が今年も開催された。インド全土からおよそ100万人が集まるこの大規模な祭典の大導師として、佐々井は総責任者を任されている。改宗式とは文字通り、インド人口の8割を占めるヒンドゥー教徒を、仏教徒へと改宗する運動である。

100万人の人が集まる改宗式典の夜 – Credit: Mitabi Kobayashi
 

改宗運動の祖、ビーム・ラーオ・アンベードカル博士

インドでは13世紀に他宗教の隆盛により、組織的な仏教は滅んだと言われている。現在のインド仏教は61年前、劇的な改宗運動によって再興された。

その復興の礎を築いたのは、ビーム・ラーオ・アンベードカル博士だ。憲法学者で政治家であった博士は、第二次世界大戦後のインド独立の際、新しい国家建設の中心人物として活躍した。そして注目すべきは、博士の出自がカースト制度の最下層、「不可触民」であったことだ。

カースト制度最下層 不可触民

古来、インドでの「不可触民」の扱いは、牛以下、家畜以下、「人間ではない不浄な生き物」の存在とされ、集落の外れでゴミを漁り、泥水をすすりながら、インド社会の中で何千年も差別され続けて来た。アンベードカル博士が生きた20世紀中頃でも、その状況は変わっていなかった。さまざまな差別を博士は成長期に体験し、不条理と闘い、それらを乗り越え、政治の中心人物となった。そしてインド独立という大仕事を成し得た後、博士はインドから差別をなくすためにはヒンドゥー教を捨て仏教国にしなければならないと考えるようになった。そして、1956年にナグプールで60万人の不可触民を率いて仏教徒に改宗。世界の歴史の中でも類を見ない大改宗だった。

アンベードカル博士の胸像に献花する佐々井師 – Credit: Mitabi Kobayashi
 

仏教徒の救世主、佐々井秀嶺の出現

しかしアンベードカル博士は、大改宗の2ヶ月後に急逝してしまう。仏教の復興運動は指導者が不在となり停滞を余儀なくされた。それから十年後、佐々井はこのナグプールにやって来た。若い佐々井は僧侶としてこの地で求められていることが沢山あることを知り、自らの使命を悟ったのだった。

後編に続く

TEXT by MITABI KOBAYASHI